ちょっといい話 1                                hyoushilogo2.gif (1530 バイト)lleand

1.「死を悼む」〜「動物たちの不思議な事件簿」より

モーリーン・フレドリックスンによると、ボランティア活動として、ある犬が養護施設に入れられている

老人を慰めるために毎日訪問していた。高齢のその女性が亡くなったとき、家族はその女性が

お気に入りだったその犬を葬儀に招いた。犬は棺の前に連れていかれたあと、外につれ出された。

モーリーンによると、その犬は後ずさりして四回吠え、静かに立ち去った。これ以上感銘深い葬送の儀を知らない。

2.「ネコからの贈り物」〜「動物たちの不思議な事件簿」より

デルタ協会のモーリーン・フヒアリクスンはシアトル地区で、ある虐待されている女性の

相談にのっていたが、彼女の飼いネコは毎晩二匹のハツカネズミを彼女にプレゼントしていた。

その女性が虐待する夫から逃げる決心をしてこの町に引っ越してくると、ネコはもうネズミを

見つけることができなくなった。そこでネコは、毎晩松ぼっくりを二個彼女のところに届けるようになった。

モーリーンは、このネコがあきらかに苦痛を受けている飼い主の女性を慰めるためにこの贈り物を

していたのではないか、と考えている。

3.「盲導犬」〜朝日新聞投稿欄より

けなげな盲導犬が大好きで、テレビで盲導犬の出る番組は欠かさず見ています。

昨年末偶然、京成電車の中で、盲導犬を連れた方の隣の席に座ることができま

した。盲導犬を近くで見たのは初めてでした。飼い主の女性は十二年前、にわか

の失明で、最初は死を考える失望の日々だったとか。

それが盲導犬ステビアが来て、夫とステビアの助けで、前向きに生きることができ

るようになったそうです。

飼い主と私がステビアを褒めると、ステビアの耳がピクピク動きました。盲導犬は

なでてはいけないことを知っていたので、じっと我慢しました。

そのうちにステビアが、本当に遠慮がちに自分のあごを私のひざに乗せたのです。

まあ、私のうれしかったこと。私はステビアの目をじっと見つめました。

飼い主の方は何か気配を感じたらしく、「ステビアはあなたにわがままをしていませんか」

とおっしゃるのです。

「いいえ、ただ私のひざにあごを乗せているだけです」といって許していただきました。

私はとても幸せでした。飼い主の方は、成田の乗馬クラブヘ馬に乗りにいくとおっしやって

いました。何にでも挑戦なさる積極的な生き方に感じ入りました。

ステビアのことを作詞し、ご自分で歌ったテープをお持ちになっていて、私に下さいました。

成田でお別れするとき、「どうぞなでてやって下さい」と言われ、私はステビアの頭を

ゆっくりなでてお別れしたのです。 (東京都世田谷区 荒木千春子 無職80歳)

4.「カラスの恩返し

信じられない話ですが、"カラスの恩返し"があったんです。横浜に住んでいた三年前の春のこと。

庭に置いた鳥カゴから、オウムが逃げました。十九歳。とてもかわいがっていたのです。

遠く、山の向こうに飛んで行くのが見えたので、「あきらめよう」と自分に言いきかせました。

ところがどうでしょう。翌日の午後、空を眺めていると、山の方からオウムがこっちに向かって

飛んで来るではありませんか。しかも、両脇を真っ黒で大きなカラスが二羽、エスコートし

ているのです。二、三軒先の農家にある竹のてっぺんにオウムがとまるのを見て、カラスは

安心したように山に帰って行きました。実は、この二羽のカラスと私とは旧知の間柄でした。

六年間、飼い犬のチワワの残飯を毎日食べていたのです。どんな動物でも、かわいがっていると、

必ずそれにこたえてくれるものですね。(熱海市の主婦、吾妻やす子さん(61))

5.「ブロンテ姉妹最後の言葉」〜「人間最後の言葉」より

エミリー・ブロンテ(1818-1848)

姉妹のひとりがベッドに就いてくれと頼んでも、頑としてソファに坐ったまま、

つぎのように繰り返して死んだ。

「いや、いや」

アン・ブロンテ(1820-1849)

アンは死の間際に、三人姉妹のなかで、ただひとり取り残されようしている

シャーロット・ブロンテに向かって、

「勇気をだして、シャーロット。勇気をだして」

6.「機知」

私は、女優のエマ・トンプスンが好きですが、彼女が来日したときの発言で、

ますます好きになってしまいました。

インタビューで、ある記者が「セクシーな装いですね」と誉めたのに対し、

「ああ、これで1週間は幸せでいられる」 

7.「ある夏の思い出」

トム・カルフーンがリーダーズ・ダイジェストに書いた「ある夏の思い出」

私が所属していた、ハーバード大学の学生新聞の部長はキャスパーだった。

最も沈着冷静、かつ思いやりがあった。あるウィークエンドに私は、キャスパーと、

友人のマリアンの別荘で過ごすことになった。マリアンの家族は風変わりで

面白いと聞かされていた。一人一人独自の行動と目標の基準をもっている

とのことであった。別荘は古い屋敷で、部屋数が15もあり、海の側に建っていた。

マリアンの姉のキャサリンは、後ほどハワードという名の友人を連れて帰ってくる

とのことだった。キャスパーがシャワーを使ってると、キャサリンが帰ってきて

「そのシャワーは、潔癖症のハワードの特別のシャワー室だから使わないで」と

こっぴどく叱られた。キャサリンは、痩せて背の高い、赤毛の女性で、グリーンの

ひとみが怒りに燃えていた。次の朝、雨がしとしとと降り、ハワードはとうとう姿を

見せなかった。みんなすることもなく、ぎこちなく居間に座っていた。キャサリンは

やおらキャスパーの手をとり、手相をみ、眉をしかめた。「あんたは将来、権力を

にぎるでしょう、強大な恐るべき権力を」

さて予言が的中したかどうか、いまでは周知の事実である。しかし、何よりも、

キャスパー・ワインバーガー(元アメリカ国防長官)の手相を見た1937年の夏の日曜日を、

ハワード・ヒューズがついに姿を現さなかった雨のウィークエンドを、

彼女――キャサリン・ヘップバーンはいまでも覚えているだろうか。

8.「至言」

50年前には、親が何人もの子供を持つ傾向があったが、近頃では、

子供が何人もの親を持つことが多くなっている。

9.「至言」

これまで私たちは、人間が悪くなるのは環境のせいだと言ってきたが、近頃では、

環境が悪くなるのは人間のせいだと言うようになった。

10.「至言」

子供たちは、18歳ぐらいになると、親から離れて自分の世界を持つものだ。

それを、自然のなりゆきとして受け入れる親のもとには、将来、成人した子供が

驚くほどしばしば顔を出すものである。

11.「おるすばん」〜実際に新聞に載った小学1年生の女の子の作文

きょうから、わたしはおとうさんとふたりでおるすばんです。

おかあさんがでかけるときは、きこえなくなるまで「バイバイ」といっていました。

そして、みえなくなると、きゅうにさみしくなりました。

おとうさんとのゆうごはんは、にくだんごのおかずしかありませんでした。

よるねるときは、まだ、あんかもはいっていません。

それで、じぶんでスイッチをいれました。

あさ、ラジオがきこえても、おとうさんはおきません。

わたしがおこしてあげました。

おかあさんとのおやくそくをまもって、きるものもぜんぶじぶんでかんがえてきました。

よるおそく「ひさ子ちゃん」とおかあさんのやさしいこえがしました。

わたしは「はい」といっただけで、うれしくてなみだが目にいっばいたまって、

なにもおはなしができなくなってしまいました。

12.「いつのまに・・」〜リーダーズダイジェスト誌より

・・・ところがそのうちに、彼の髪はそれほど長すぎたりはしないように思えてきました。

ラベンダー色の、しぼり染めのジーンズだって、特別わたしが気に入ったというわけでは

ありませんけれど、その反面そうしかめっつらをしなくてもすむようになったのは不思議でした。

休暇ともなると、スーパー・ハイウェーを運転するときには、彼も交代でハンドルを握る

ようになり、その運転技術や落着いた態度は両親ともある程度認めないわけには

いかなくなりました。このぶんならば、学校の勉強も、親がそばでやいやい言ったり

しなくても、白分だけでちゃんとスケジュールを調整してやっていけるんじゃないかしら、

と考えたりするようになりました。

ヒステリー声を出して、「いったい全体、あんたは将来どうするつもりなの?」と険悪な

顔つきをしてしかりつける代わりに、わたしは純粋な関心から彼に質問をしました。

「あなたは将来どうするつもりなの?」

すると思いがけなくも、ちゃんとした生涯の計画を彼は話してくれるのでした。

こういった変化はみんな徐々にやってきました。特別に大騒ぎして作り出したと

いうわけでもありません。徐々に自然に出てきたのです。キッチンにもたびたび出入り

するようになったので、あるときわたしは料理のコツをいくつか教えてやりました。

そしたらお返しに彼はギターのコードを教えてくれました。

ある日、4歳になる末っ子のジョニーが顔じゅう血だらけにして、泣きわめきながら

帰って来ました。そのとき、かの16歳がどんなに変わったかということをわたしは

はっきりと思い知らされたことでした。顔の血をふき取り、目のすぐそばに大きな

傷口を見つけると、わたしはもう少しで取乱してしまうところでした。実際のところ、

力強い手がわたしの腕を押え、落着いた声がわたしに呼びかけるということが

もしなかったならば、わたしは逆上してしまったことでしょう。その声はこう言っていました。

「傷も目の近くはたいして深くないよ。まず病院に連れて行こうよ」

病院というところは非常に清潔を重んじるところなのに、ジョニーは泥だらけでした。

「こんなふうじゃ、この子をどこにも連れて行けないわ」とわたしは狼狽しきって言いました。

「自分の子だって言わなけりゃいい。どこかでこの子を見つけて、助けてやったようなふりを

すればいいよ」とこのティーンエージャーの息子は助言してくれました。

それから、「もう泣くんじゃない、ジョン」と弟に言います。

ジョニーは声の調子を落として、泣きじゃくりはじめました。そこで病院に急行し、

結局10針縫ってもらうことになりました。

家への帰り道、ジョニーを膝に乗せ、わたしはかたわらで運転している息子を、

不思議なものを見る思いで見つめたことです。

「いったいどうして」とわたしはたずねました。「あんなに何年もわたしを怒らせてばかりいたのに、

いつのまにちゃんとした人問になったんでしょうね」

「どうしてだか知らないよ、ママ」と彼は車の前方に視線をくぎづけにしたまま言うのです。

「だけど不思議だね。ぼくもママのことをちょうど同じふうに考えていたところなんだ」

13.「至言」

最上の両親とは、きびしさのなかにやさしさを秘めた父親と、やさしさのなかに

きびしさを秘めた母親である。

14.「至言」

友人を批評するのに苦痛を感じるようなら、批評してもさしつかえない。

しかし少しでも楽しく感じられるなら、そのときは口を閉ざすべきである。

15.「ため息」〜ある雑誌から

居間の暖炉の前で寝ていた雑種の雌犬ジミーは、やがて目をさますと

あくびをし、ぼんやりとあたりを見まわした。私は隣の部屋から

その一部始終を見ていたが、ジミーはそれに気づいていなかった。

ジミーの目が低いテーブルの上のチョコレートの皿に止まった。

ジミーは甘い物が大好物なのだ。しかし、決して勝手に取っては

いけないと教えられている。見ていると、ジミーはのそのそとテーブルに

近づき、チョコレートをひとつ取り、暖炉の前の敷物にどさりと

すわりこむと、それを前足の間に置いた。そこでしばらくのあいだ

チョコレートに鼻をすりよせていたが、やがてあきらめたように

長い悲しげなため息をついた。そして再びそれをくわえると、

テーブルの所にもどり、皿の中にぽとりと落としたのである。

16.「別れ」〜リーダーズ・ダイジェスト

うちのフォックス・テリア、デーゴンは15歳近くまで生きていたが、

最後の6ヶ月というものは、2階に行くのが大変な難事であった。

ほとんど1段ごとに立止まっては、息をつがなければならなかったのである。

しかしある暑い夏の夜、真夜中を少しすぎたころ、デーゴンが以前のように

元気よく2階にあがって来たことがあった。そして私のベッドのわきに

やって来たので、私は頭をちょっとなでてやった。するとデーゴンは、

夫のベッドに行って同じようにしてもらった。それから息子の部屋へと

ぱたぱたと走って行ったのである。なんとなく様子がおかしいので、

あとについて行くと、デーゴンは眠っている息子のほおにそっとふれてから、

階段を小走りにかけ降りて行った。なんだか心配になった私は、もう一度

様子を見に行った。デーゴンはいつものように、階段の上がり口に寝ていた。

しかしそっと近づいた私は、彼が死んでいることに気づいた。デーゴンは

さようならを言いに2階に来たのであった。

17.「至言」<ジェファーソン大統領>

謙虚な人に対しては、絶対に不遜であってはならない。不遜な人間に対しては、

絶対に謙虚であってはならない。

18.「至言」
<ロバート・サウジー(イギリスの詩人)>

辛辣でありたいときは、簡潔であれ。言葉は日光のごとし。濃縮すればす

るほど威力を増す。

19.「至言」

両親は、子供という生きた矢を世に放つ弓である。

20.「お手伝い」〜実際に新聞に載った小学6年生の作文

私は、朝五時に起きます。学校に行くまでの間に、自分のへやの掃除をしてから

台所とげんかんの帰除をします。それから、おふろのお湯を洗たく機に入れてから、

お茶わんやおかずを出します。妹は犬を散歩に連れて行ってから、犬のごはんを

やって庭の植木や花に水をやります。そして、みんなで、ごはんを食べて、

あとかたづけをして私は学校に行きます。

学校から帰ると妹と二人で、犬の散歩や植木や花に水をやり、おふろに水を入れて

ガスをつけます。洗たくものをたたんでから、おつかいに行きます。

タ方になると雨戸をしめてから、夕ごはんのお茶わんやおかずを出しながら、

おかあさんに学校であったことを話します。ごはんを食べ終わると、あとかたづけをして、

あしたの朝のお米をとぎます。

学校の友だちに聞くと、みんなは学校から帰ると、じゅくやそろばん、ビアノなどを

習いに行ったりするので、おてつだいはなにもしないといいます。

私は、じゅくへ行きたいといっても行かせてもらえません。でも、図書館みたいに

たくさん本を買ってくれるし、勉強に必要なものはだまっていてもそろえてくれます。

私のへやも妹のへやもあるし、オルガンもミシンも机もベッドも洋服だんすもあります。

けれど、あんまり仕事をさせられると、よその子になりたくなります。

おかあさんは、私と妹が学校に行っている間、何をしているのかしらーと思ってしまいます。

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