ちょっといい話 3                                                                                 hyoushilogo2.gif (1530 バイト)lleand

41.「至言」<ブランチ・リッキー >

ドジャースのGMを務めたブランチ・リッキーが言った言葉、


わたしの娘と結婚したいと思う男性にもっとも必要な資格とは、

無限に親切なことである。無限の親切は、共に暮らす間に起こる

いろいろな問題や不安、病気、失望、もめごと、不和、恐れ、

別居、悲しみ等すべてを通じて結婚生活をささえるだろう。

真の愛情や理解、寛容や暖かみは、無限の親切から生まれるのだ。

無限の親切という常に変ることのない資質にとって代わるものは

ほかにはない。

42.「夫が妻に愛を感ずるとき」〜RD誌

ハービーは、以前から、山登りが趣味であった。ところがある日、登山に

出かけていき、100メートルほども真っ逆さまに転落してしまったのである。

事故を知らされた妻は、夫が瀕死の重体であると言われて、とっさに

ひとつだけ質問を発した。

「落ちたとき、主人は登っていたんですか、下りていたんですか」

数週間後に、健康を回復したハービーは、妻の質問の意味するところを理解した。

「そのとき、僕はものすごく感動しました。未亡人になるかならないかの瀬戸際に、

私に対する深い愛情から、山を征服できたのかどうか、まず尋ねたかったんですね。

僕はこのとき、女房に感じた愛を一生忘れませんよ。それに、あの質問を発した

彼女の悲壮な気持を誇りに思ったことも忘れません」

43.「心理学」

大学の心理学を専攻した母親が幼い息子に教えられた話。

息子のケンが友だちとボール投げをしていて、窓ガラスを割ってしまった。

母親は「すぐにパパに電話をして、いまあなたがしたことを正直にお話しなさい」と言った。

坊やはおずおずと電話に向かって話しかけた。

「もしもし、パパあのね、タクちゃんとボール投げしてたらね、あの〜、居間に

大きな窓があるでしょう」

パパの大きなため息にケンは話を中断させられたが、後を続けた。

「その大きな窓の隣の小さなほうのガラスを割っちゃった」

44.「心理学2」

看護婦さんというのは、心理学のエキスパートが多い。

ある看護婦さんが、患者につぎのように接すると大抵うまくいくと言っていました。

<病気の子供に対しては大人のように扱い、病気の大人に対しては子供のように扱う>

45.「至言」<ウィーダ(イギリスの女流作家)>

「いつ、どこで再会するかわかっていれば、われわれは友人に対して、

もっと優しくさよならを言うだろう」

46.「白鳥」〜「動物に愛はあるか」より

実際にコネチカット州であった話。1962年の厳冬に、ある夫婦が窓辺から

外を眺めていると、一羽の白鳥が池の氷に閉じ込められ抜け出すことが

できなくなっているのを発見した。夫妻が救出に向かおうとする前に、

50ないし60羽の一群のマガモとクロガモが水辺の斜面の雑草から出てくるのがみえた。

鳥たちは白鳥のそばまで近づくと、めいめい体をもちあげてはドスンと落とすという

動作を始めた。これにより片側の氷が壊れ、白鳥の半身が自由になった。

次に鳥たちは反対側にまわって同じ動作をつづけ、やがて白鳥は岸に

たどり着くことができた。この話の大部分は信じがたいものがあるが、

少なくともその結末は真に迫っている。すなわち、まことに白鳥らしいのだが、

自由になった白鳥はカモに立ち向かってゆき、追い払ってしまったというのである。

47.「至言」

婚外交渉や遊びに対する世間の目が寛容になってきてはいても、

結婚ということの人気は末永く続くだろう。

なぜなら、大人になった人間にとって、自分に腹を立てている人間が、

同時に自分のことを心配し、また幸せを祈っていてくれると確信のもてる

状態は、結婚以外にはないからである。(誰が言ったか忘れた・・(笑))

48.「怒り」

「怒り」は突き抜けてしまったら、もとに戻るのが大変です。実行は難しいけど、

私の好きな言葉があり、モットーにしています。

「絶対に荒々しくドアをしめて出ていかないこと、また戻らなければいけない

こともあるのだから」

「怒りの言葉に対し、決して怒りの言葉で答えてはならない。

けんかを引き起こすのは、この2番目の言葉だから」

49.「至言」

「子供は、まだかわいていないセメントのようなもの。

その上に落ちたものは、何でもみな刻印を残す」

50.「至言」

「成功は永続的なものではない。失敗もまたしかり」

51.「至言」<ロバートソン・ニコル>

「永続きするこまやかな友情を育てようと思うなら、お互いの間に

多少の距離をおくのが最も確実な方法かもしれない」

52.「過剰殺傷殺人(オーバー・キル)」〜「ザ・ジグソー・マン」ポール・ブリトン著

FBIでは、一定の数以上の刺し傷--20箇所以上--が加えられているときには、

加害者は被害者を知っているとみなしている。

53.「紳士」

押し出しの立派な銀髪の男性が、ビルの入り口に向かって歩いていった。

そのとき、一人の若い女性がやって来たので、男は彼女のためにドアを押さえた。

その女性が言った。「私が女性だからって、ドアを押さえたりなさらなくてもよろしいのに」

男はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「あなたが女性だからドアを押さえていたわけではありません。

私が紳士だから、押さえていたのです」

54.「人を動かす」

これは映画監督ダドリー・ニコルズの話ですが、

あるシーンが気に入らなかったときに、

彼は主演女優ロザリンド・ラッセルにこう言ったそうです。

「すばらしかったですよ。ほんとにすばらしかった。

しかしラッセルさん、あなたがほんのちょっとだったけれど、

ためらったときがありましたね。あのときあなたは、

もうちょっと抑えた演技をしたほうがいいんじゃないかと、

思ったのではありませんか。あなたが考えていたやり方で、

もう一度やってみましょう」

55.「アルケミスト

アンダルシアの羊使いの少年サンチャゴは、ある日ピラミッドのそばで宝物を見つける

夢を見た。少年はその夢を信じ、アフリカの砂漠を越えエジプトに渡る。

様々な困難や人との出会いと別れを経験し、少年は人生の真実や知恵を学んでゆく。

恋人のファティマとも別れ、ついに「宝物」を手にする。この小説のラストは甘く美しい。

・・・風が吹き始めた。アフリカから吹いてくるレバンタールだった。それは砂漠のにおいも、

ムーア人の侵入の脅威も運んではこなかった。そのかわり、少年の知っている香りと

キスの感触を運んできた---そのキスはずっと遠くからゆっくりとゆっくりとやって来て、

少年のくちびるの上でとまった。

少年はにっこりとした。それは彼女からとどいたはじめてのキスだった。

「ボクはすぐもどるよ、ファティマ」と少年は言った。(山川紘矢・亜希子氏訳)

56.「辞世」

ほぼ同時代に死んだふたりの対照的な辞世の句があります。

地上の栄華をきわめながら、なおこの世に未練たっぷりな秀吉の辞世の句

「露とおち露と消えにしわが身かな 浪華の事も夢のまた夢」

それと対照的に薄幸の生涯から次第にキリスト教への信仰を深め、強い意志をもって生き、

死んだ細川ガラシャの辞世の句

「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」

57.「遺伝的差異」

最新のDNAの塩基配列の研究によるとヒトとチンパンジーの遺伝的な差は1.2%で、

ヒトとニホンザルは9%だそうです。

いかにチンパンジーがサルよりもヒトに近いかが分かります。

58.「更級日記」〜紀田順一郎(評論家)

日本の古典で書物への熱い思いが語られているものとしては、この「更級日記」に

とどめをさすだろう。作者は菅原孝標の女。十歳のとき姉や継母が「源氏物語」を

話題にするのを耳にし、なんとしても読みたいと願う。

父の孝標は役人で、任地の上総(現在の千葉県中部)には物語など一冊たりとも入

手の便がなかった。

彼女は等身大の薬師仏をつくり、「京にとくあげ給ひて、物語のおほく候ふなる、

あるかぎり見せ給へ」と身を投げ出して祈る。

三年後、父親の住期が満ちて一家は三か月かけて京に戻るが、彼女はいまだ

引っ越しの荷物も片づかないうちに「物語もとめて見せよ、見せよ」とねだって母親を

困らせる。そこで当時三条の宮の女官をしていた親戚に草子類を借りてもらい、

わずかに渇をいやしたが、そのうちに田舎から上京した叔母から「源氏」全巻を

もらうというすばらしい幸運に恵まれる。

本を几帳の中にかかえこみ、人に妨げられずに物語に没入する心地を何に

たとうべきか。「后のくらひ(位)も何にかはせむ」と作者は記している。

男性だったら王侯の地位にもかえがたしというところか。

これほどの愛書家の作者も、後年はただ平凡な夫と子どもの幸せのみを

願って仏に詣でるような平凡な日常を送るだけとなり、夫の没後は信仰生活に

入っていく。その落差が印象的であるが、平安後期の上流女性という要素をこえて、

夢を強烈に追い求めるロマンチストとしての女性像が胸をうつ。

まさに書物が唯一の楽しみであり、生活の潤いであった時代の記録である。

59.「ピサロとアタワルパ」

1532年11月16日にスペインの征服者ピサロとインカ皇帝アタワルパが

ペルー北方の高地カハマルカで対峙した。このときの情況は従軍の書記など

により詳細に記録されている。

このときピサロの兵力160人は、インカ側の8万に包囲された。

ピサロは勇敢にも、騎兵と砲に戦闘開始の合図をし、スペイン軍は、馬と銃に驚き、

戦闘体制の整わぬインカ側に切り込み、またたくまに7000人を殺戮した。

ピサロ自らも、アタワルパの腕をつかみ捕らえた。

その後、数ヶ月問、アタワルパを人質に身代金交渉をおこない、彼の解放を

餌に高額の黄金をせしめている。

アタワルパは、ピサロに、縦22フィート、横17フイート、高さ8フィートの部屋を

金で満たす代わりに釈放を約束させた..。しかし、ピサロは総額数百億円の

黄金を手にいれると、その約束を反故にしてアタワルパを処刑してしまった。

60.「シューマンの日記」

ブラームスとロベルト・シューマンの妻クララ・シューマンの愛が

プラトニックなものだったのか、それ以上のものだったかは今とな

っては誰にもわかりません。

クララの孫のアルフレードが、クララの末子のフェリックスはブラ

ームスの子供だったというスキャンダラスな本を出版したことがあります。

ところがシューマン自身が克明な日記をつけていて、この疑惑は

覆されているのです。

シューマンは非常に几帳面で細かい家庭の日々の日記を残しています。

あの劇的なブラームスとシューマン夫妻との邂逅は1853年

9月30日でした。

ロベルトはクララと愛を交わした日をFという記号で日記に

残していますが、9月にはFマークは7つ確認され、

しかも10月2日にはクララの妊娠が判明したと記載されているそうです。

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