ちょっといい話 7                                                                              hyoushilogo2.gif (1530 バイト)lleand

121.「至言」

人間は、出て行った子供たちが戻ってくるのを許す唯一の動物である。

122.「天国で僕がむかえる最初のクリスマス」 とどさん

この詩は、脳腫瘍を患い4年間もの闘病生活を送った後、1997年12月14日に

この世を去った、13歳の男の子によって書かれたものです。彼は亡くなる前に

この詩を母親に贈りました。少年の名前はBenです。

数え切れないほどのクリスマスツリーが、

下の世界に見えるよ。

天の星々のように、

小さな明かりがついて、

雪の上に光ってる。

その眺めはとっても綺麗だよ。

だから、お願い、涙を拭いて。

だって今年はイエス様と一緒に、

僕はクリスマスを過ごすんだ。

人々が歌う愛のこもった

クリスマスの歌がたくさん聞こえるよ。

でも、その調べは、

天国のクリスマスのコーラスとは

比べものにならい。

天使達の声が運んでくる喜びを、

なんと伝えて良いのか分からない。

だって、天使の歌声を言い表すことはできないんだもの。

僕がいなくなって、

ママがどんなに淋しがるか知ってるよ。

ママの心がどんなに痛んでるのか、よく分かるよ。

でも、僕はそんなに遠くには行かないんだ。

ママと僕は本当に離れ離れにはならないよ。

だから、僕のために、幸せな気持ちになって。

僕はママを抱きしめるよ。

そして、喜んでね、

イエス様と一緒に僕が今年のクリスマスを過ごせるということを。

僕の天のお家から、

みんな一人一人に

特別なプレゼントを贈ったよ。

僕の永遠の愛の記憶を、

みんな一人一人に贈ったよ。

結局、純金よりも何よりも

愛が貴い贈り物なんだね。

イエス様が仰っていたお話の中で

いつも一番大切なものは、

愛だったよね。

パパが言っていたように、

みんな愛し合って、大切にし合ってね。

パパからみんな一人一人への

祝福と愛は計り知れないものだから。

だから、メリークリスマス。

そして、涙を拭いて。

忘れないで、

僕がイエス様と一緒に

今年のクリスマスを過ごすっていうことを。

123.「クリスマスプレゼント」 jilさん

強い英国なまりの紳士が応答したので、私の娘はイギリスに間違い電話をしたことに

気がつきました。娘は、アメリカのフィラデルフィアからかけていて、クリスマスだというのに、

おじゃまをして申し訳ありません、と詫びました。

紳士は、犬とだけの静かなクリスマスを過ごしていると答えました。

ふたりはしばらく話したあと、紳士は、フィラデルフィアからのあなたの電話がクリスマスの

特別の贈り物だった、と礼をいいました。

電話をおいたとき、娘もまた、紳士がクリスマスの特別の贈り物をしてくれたことに気が

ついたのでした。

124.「本当のサービス」 とどさん

1998年の成人式(1月15日)に大雪が降りました。当時米国留学中だった私はその雪を

経験しておりませんが、某新聞衛星版のコラム欄である記事を読みました。

当時その事にあるものを感じた私は、友人にメールでその記事の要約を次のように送りました。

 ------------ 1998年1月に出した友人宛の電子メール ------------

1月中旬の大雪で首都圏の交通は麻痺したが、唯一京王電鉄は運休しなかった。

それは偶然によるものではない。首都圏の雪により鉄道が止まる原因は主として、

ポイントの凍結と、パンタグラフ(屋根上集電器)への積雪である。ポイント凍結予防には

カンテラが一般に用いられる。雪の日に電車の窓から外を見ると、ポイントの下でゆらゆら

揺れる炎がよく見られるのがそれだ。しかし、より確実なのは電気溶雪器である。

他の鉄道会社が7〜8%の導入率であるのに対し、京王電鉄のみが100%のポイントに装備した。

また、12月にはいると、すべての車両のパンタグラフに積雪防止剤を塗布し予防策も怠って

いなかったとのこと。この大雪で、中央線や小田急線が不通になったことにより、多摩地区への

多くの乗客が京王線へ廻ったが、それをさばくため、すかさず深夜に臨時列車を2本増発した。

さらに、各駅にタクシー待ちの長蛇の列ができると、京王バスも深夜運転を急遽行い、乗客が

居なくなるまで続けられたとのこと。通常勤務の人員では残業しても到底不可能なはずで、

従業員総出でこれに当たったに違いない。他の私鉄各社が値上げ申請をしたのに対し、たった1社、

京王電鉄のみは逆に値下げを行った。輸送力増強の工事がほぼ完了したことと、それによる

収益増を利用客に還元するためである。

本当のサービスとはかくありたいもの、とそのコラムニストは結んでいました。

125.「会えてよかった」

英大衆紙デーリー・メールによると、英国の男性は1日5回、女性は3回うそをつき、

最も頻繁につくうそは「問題ない、大丈夫」だそうです。そのほかには、「会えてよかった」

「今度電話するから」「今、向かっている途中」などが並んだとか。

日本では「会えてよかった」はあまり使いませんが、外国映画の中では頻繁に使われている

のを眼にします。

映画「草原の輝き」で、医師との結婚を決めた、ディーニーは若いころ愛し合いながら別れて

しまったバッドを訪ねます。バッドに会って、事態を直視しないと前には進めない、と

カウンセラーに言われたからです。

うらぶれて農場をやっているバッドにはもう妻がいます。がさつな妻から逃げるようにして、

ふたりは農場を散歩します。2人の悔恨の表情が痛々しいです。ディーニーはバッドの一言を

待っています、すがるような眼で。バッドはやっと最後に「会えてよかった」と口にします。

この瞬間、ディーニーの鬱積した思いが晴れ、緊張した表情が和らいでいきます。

「会えてよかった」は欧米人にとって大切な言葉なんですね。それなのにうそも多いなんてね。

126.「靴みがきの少年」 とどさん

日本経済新聞夕刊連載コラム「あすへの話題」(2008-1-18夕刊)

(防衛大学校長 五百旗頭 真)

東京はじめ主要都市がほぼ廃墟となった昭和二十年の日本。あの「聖断」において

昭和天皇は、平和さえ回復すれば「将来にまた復興の光明も考えられる」と臣下を諭

した。だが誰も「復興の光明」など展望しようもない当時であった。

「あの当時から戦後日本の復興を信じていました」という人に出会った。日本人で

はなくアメリカ人である。国際交流基金日米センターが日米各界の代表者を集める評

議会の席で隣り合わせたジョージ・アリヨシ元ハワイ州知事である。小さなエピソードから、

そう確信したと氏は語る。

昭和二十年暮、占領軍の若い将校であった氏は、有楽町近くの街角で、靴磨きをし

もらった。寒風の中、小柄な少年が一生懸命心を込めてみがいてくれた。いい子だ。

氏は進駐軍の食堂で白いパンを2つに割り、バターとジャムをたっぷり塗り込んで、

少年にプレゼントした。恐縮しながら、少年はそのまま袋に収めてしまった。

「どうして食べないの?」と尋ねると、「家に妹がいるんです」。年齢を訊くと「三才で、

まり子といいます」。少年自身は七才だという。

アリヨシ氏は感銘を覚えた。吹きすさぶ寒風の中、着のみ着のまま空腹の少年が、

手にしたご馳走を自分で食べず、妹に与えようとする。靴磨きをして妹を育てようと

する七才の少年か。世界のどこの子供がこんな風にできるだろうか。

富士山がよく見える焼け野原の東京。モノとしての日本は消失した。しかし日本人の

精神は滅んでいないのではないか。片隅の少年があんなに立派に振る舞えるのだ。

日本はこれで終わらない。必ず蘇る。そう確信したというのである。

127.「決闘裁判」

中世のフランスでは決闘裁判という裁判方式がありました。確たる証拠がない相手を

裁判の場に出させる手段でした。決闘で負けたほうが有罪となるという、分りやすいと

いうか乱暴というか。主人を殺された犬と殺したと思われる男が決闘し、見事犬が勝った

という裁判例もあったとか。

互いに友人同士だった、二人の貴族が闘って決着を図ったのが1386年のカルージュvs

ル・グリ事件でした。遠征中に妻のマルグリッドがル・グリに犯された、とカルージュが

訴えでました。ル・グリはカルージュのでっちあげだと反論し、結局決闘裁判になりました。

二人の死闘中、マルグリッドも何度か失神しそうになりました。もし夫が負ければ、自分も

偽証の罪で火あぶりになるのですから。結局、カルージュが勝ちを収めたのですが、

真相は藪の中で、現代においてもル・グリの末裔と称する人物が名誉回復の裁判を

起こしたりしています。(エリック・ジェイガー著「決闘裁判」に詳しくでています)

128.「至言」 チンギス・ハン

勝者に学ぶことは誰でもする。

敗者に学ぶことこそ強者の道だ。

みんなに勝ちたい者は,みんになに教わらねばならぬ。

129.「赤ちゃんから子供へ」 TKさん

 今日、知らない小学生の女の子と少しだけ話をしました。

 入ってはいけないほうに走っていく1歳の息子に 

「そっちはダメだよ〜」と止めていたときのことです。

 女の子「いいな〜、赤ちゃんはいろいろ出来て。

    私はもう、出来ないことがいっぱいなんだ〜」

 (小学生くらいになると、いろいろちゃんと分かっていて、 やってみたいけど、

しちゃいけないことがたくさんあるのかなと思って聞いてみました)

「どんなことが出来なくなっちゃったの?」

「うちにある小さな穴に入れなくなっちゃったの。」

(意外な答え!面白い!!)

「そっか〜、穴に入れなくなっちゃったのか〜。それは残念だったね〜」。

「ホントは入れるんだけどね、きついんだよ〜」

(ニコニコと話してくれました)

家の中になる小さな穴。

どんな穴なのか分からないけど、その子には特別な場所だったのでしょうね。

そこに、以前のように納まらなくなった自分に気付いて、

「もう赤ちゃんじゃないんだ」と少しだけ子どもから大人に近づいていく

自分を感じたのでしょうか。

小さな穴の中で感じる子どもの世界

そんな世界を大切に、そんな思いを大切に、大きくなっていって欲しい・・・

その子も、自分の子どもたちも。

130.「至言」 ヘレン・ケラー

「幸せの扉が閉まるとき、別のドアが開く。私達は、その閉まってしまった扉を

いつまでも見ていると、別の幸せの扉が開いているのに気づかないことがある」

131.「知性」 とどさん

某大学理工学部教員が定年退職を迎えるにあたってのスピーチより、

「ここ何年かは仕事で仕方なくコンピュータを操作しているが、あれは

全くもって馬鹿な機械である。何でも詰め込まれたまま覚えることだけ得意で

同時に忘れてゆくという機能がないからだ。ふたつの微妙なバランスを維持出来てこそ、

初めて知性と呼べるのだ」

132.「事故でも・・・」 とどさん

先日、日曜日に車で出勤途中・・・

踏み切り待ちをしていた私は何気なくバックミラーに目を向けると、運転席の中年の

男性が車から降りていくの行くのが目に入りました。 すぐにその後ろの車からも運

転手が降りてくるのが分かり、『あ〜カマホリだな・・・』 と分かったのですが、

ぶつけられた車の運転手は自分の車を確認すると何も無かったように、今までの険し

い顔から一転、永年連れ添ってきた旧友にでも見せるかのような笑顔で、ぶつけた相

手の肩を叩き、車に乗り込み走り出しました。

踏み切りを越え、信号で待っていた私の後ろに先ほどの車が後ろに止まりました。

また私はバックミラーで後ろの車を覗き込むと、助手席に乗っていた奥様と一緒に自

分達のほんの少しの寛大さを確認するように気持ちの良い笑顔で会話を楽しんでいる

ようでした。 更に後続のぶつけた本人も日曜日の午後を気落ち良く過せたのでは

いでしょうか?! 第三者の私もほんの少しだけ幸せをお裾分けして頂いた日曜日の

午後でした。

133.「プロポーズ」 DAさん

バレンタインの日にトムは私に一緒にディナーをするように頼みました。

トムは、迎えに行くときに、私の9歳と11歳の娘も家にいるようにと、念を押しました。

トムは到着すると私たち3人をソファーへ導きました。そしてポケットから3つの小さな箱を

とり出しました。ひとつはダイヤの結婚指輪でした。あとのふたつは真中に小さなダイヤが

ついたハート型の指輪でした。トムは私たち3人にプロポーズしたのです。

言うまでもなく、私はOKをしました。4人は30年たった今も結婚しています。

134.「神様」 JHさん

幼いサッチは、弟が生まれるとすぐ私に赤ちゃんと二人だけにしてくれ、と頼みました。

私は、4歳児にとって赤ちゃんへの嫉妬の感情から赤ちゃんをぶったり、ゆすったり

するのではないかという危惧から、ダメと答えました。でもサッチは嫉妬などの感情を

見せることもなく、赤ちゃんをやさしく扱い、赤ちゃんと二人だけにしてくれ、という願いは

ますます強くなるようでした。とうとう私は折れて、サッチの願いを聞き入れました。

サッチは喜んで赤ちゃんの部屋に入り、ドアを閉めました。私はドアをちょっとだけ開けて

中の様子をうかがいました。サッチはゆっくり赤ちゃんの顔の上に覆いかぶさって、静かに

話しかけたのです。

「赤ちゃん、神様ってどんなだった? わたしはもう忘れはじめてるの」

135.「父と母」 lobさん

私の両親は一目ぼれで恋に落ち、その後52年間たっても恋し合っている。

私の父はロマンティックというより、ひょうきんな人で、自分の人生などを

面白おかしく話したものである。たとえば、二人の出会いとか、出会いから

たった3か月で結婚した話とか。

78歳の時父は心臓病で、開胸手術を受けた。その間、76歳の母、モードは

一時たりとも父のベッドから離れなかった。喋れるようになってはじめて父が発した

言葉は、私が聞いたもっともロマンティックなものだった。

父はこう言ったのだ。

「モード、医者が私の胸を切り開いて何を見つけたと思う? それはねボクの心臓に

彫られたキミの名前だったんだよ」

136.「ブロンテの愛の手紙」

シャーロット・ブロンテは「ジェーン・エア」の中で、当時では絶対許されない、

女性から男性への愛の告白を描いています。実生活でも妻子ある恩師、

コンスタンタン・エジェに愛の告白の手紙を出しています。自分を卑下した、

涙なくしては読めない切ない手紙です。

「先生、貧しいものたちは多くを必要としません。金持ちのテーブルから

こぼれ落ちるパン屑しか求めません。でもそのパン屑をもらわないと飢え

死にしてしまいます。私も愛する者たちから多くの愛は必要としません。

あまり完璧な愛をもらうとどうしていいのか分からなくなります。

そんなことに慣れてないのです。私がブリュッセルであなたの生徒だったとき、

少しは私に関心を払ってくださいました。私はその小さな関心にしがみついています、

ちょうど人生にしがみつくように・・・」

Monsieur、 the poor have not need of much to sustain them -- they ask only for the crumbs
that fall from the rich man's table. But if they are refused the crumbs they die of hunger.
Nor do I、 either、 need much affection from those I love. I should not know what to do
with a friendship entire and complete - I am not used to it. But you showed me of yore
a little interest、 when I was your pupil in Brussels、 and I hold on to the maintenance of
that little interest - I hold on to it as I would hold on to life.

137.「箸墓」

邪馬台国はどこで卑弥呼は誰か。

強大な権力を擁した卑弥呼が亡くなったとき、巨大な墓が造られた、と魏志倭人伝に

記されている。奈良県桜井市に倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)が

葬られている巨大な前方後円墳の箸墓がある。

最近その箸墓から出土した土器を放射性同位元素を使った年代測定したところ3世紀

中ごろのものと分かった(H20.5.25)。卑弥呼は西暦248年に死去しているので、箸墓が

卑弥呼の墓である可能性が一段と高まった。数年前の年輪による時代判定と一致する。

卑弥呼=倭迹迹日百襲姫=天照大神 邪馬台国=桜井市巻向(纏向)=高天原という説が

俄然有力となった。箸墓が卑弥呼の墓でないとすると、一体、他のどの墓が卑弥呼の墓

なのか、と思ってしまう。巻向にはあるのに吉野ヶ里にないもの、それが「径百歩の塚(墓)」

なのである。

138.「父の日、パパへのメール」 BWさん

パパ、父の日おめでとう!

最近、こんなお話を友達から聞きました。

インドのある少年が両親によって全寮制の学校にやられました。

それまでは少年はクラスでは一番成績がよく、スポーツの分野でも抜きんでていました。

でも、家を離れ、全寮制の学校にはいってから少年は変わりました。

成績は下降し、グループに属さず、終日、孤立した生活を送るようになったのです。

全寮制の学校に遣られ、自分がなんの価値もなく、誰も自分を愛していないと思いこみ

自殺まで考えることもあったのです。少年の両親は心配しましたが、両親に

とって何がいけないのか理由が分かりませんでした。それで少年の父親は

少年と話すために学校を訪れました。ふたりは学校のそばの湖の堤に座り

ました。父親は、友人や先生やスポーツについていろいろ尋ねました。

そして最後に、

「なぜ私が今日ここに来たか分かる?」と訊きました。

「ボくの成績をチェックしに?」

「違う、違う」父親は答えました。「キミは私にとってもっとも大切な人だって

ことを言いにここに来たんだ。キミが幸せなのを見たいんだ。成績なんて

どうだっていいんだよ。キミの幸せが気になるんだ。キミは私の人生なんだ」

少年の目から涙がこぼれ始めました。少年は父親を抱きしめ、何も言わず

ずっと抱き合っていました。少年は自分を深く気にかけてくれる人がいる、

自分は両親にとってかけがえのないものだったことを知りました。少年は

いまでは成績はクラスのトップで、悲しい顔も見せなくなりました。

以上が友達から聞いたお話です。


パパいつもありがとう。上の少年のようにパパは私の人生そのものです。

あなたの娘、BWより。

139.「共通語」 とどさん

日本経済新聞夕刊連載コラム「あすへの話題」(2008-07-10夕刊)

「科学の世界の共通語」(分子生物学者 福岡 伸一)より

ある大きな分子生物の国際学会での出来事。一日目は、学会を主導する世界的に

有名な重鎮科学者によるキー・ノート・アドレス(基調講演)から開始された。神妙に

聞き耳を立てる聴衆たち。当然の事ながら、国際学会での使用言語は英語である。

重鎮はおもむろに話し始めた。「科学の世界の共通語は英語ではありません」

会場は水を打ったようにしんとした。重鎮はドイツ系スイス人。その彼の喋る英語

はあまり上手くない。まさか、いまさら、科学はドイツ語に限る,なんてのたまうん

じゃないだろうな。重鎮が次になんというか。視線が一斉に集中した。

「科学の世界の共通語は...」一呼吸おいて彼はこう言った。

...へたな英語(poor English)です。私のようにね。世界中からお集まりの皆さん、どうか

活発な議論を交わしてください」。

すばらしい開会宣言に会場は大きな拍手につつまれた。

140.「見方」 とどさん

先日行きつけの飲み屋で一人で一杯やっていました。隣では4人のサラリーマンが飲んでいました。

ある若い男性がXさんと言う上司のグチを言っています。

「Xさんは〜なんですよ。まったくひどいもんです」という感じです。

それを,しばらく黙って聞いていた先輩格の男性が口を開きました。

「Xさんは,そんな人じゃねぇよ。

オレがXさんの下についていた頃,○○営業所のころかな,〜〜っていうヘマをし

たんだよ。」

(とど注:〜〜の内容は理解できませんでした。)

「えっ!?,そいつは,ヤバかったんじゃあないッスか?」

「ああ,得意先にすっ飛んでったよ。そしたら,Xさんも一緒に来てくれたんだ。

そんで,Xさんは,ただ頭を下げて『私のチョンボです。私が〜〜で△△の対応が

遅れましたので,ご迷惑をお掛けしました』って,謝ってくれたんだよ。Xさんて,

そういうところもあるんだ」

一同「.....」

隣で耳がダンボになってしまいました。

どこにでもあるような,または,どこかで聞いたような話しです。でも,隣で実話と

して語られるのを聞くと,心がすがすがしくなりました。トクした気分になりました。

私はといえば,博多風モツ煮込みを一気に食べていました。

 

 

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