ちょっといい話 8                                                                                hyoushilogo2.gif (1530 バイト)lleand

141.「告白」

25年も前に「あみん」というデュオがありました。

「待つわ」という大ヒット曲を飛ばしましたが、学業に専念するということで、デュオとしての

音楽活動を停止しました。メンバーの岡村孝子はソロ活動を続け、もう一人の加藤晴子は

OLとなり結婚しましたが、二人はその後もつき合いを続けていました。

加藤は自分が歌手だったことを娘には知らせていませんでした。今回の25年ぶりの「あみん」の

再結成を決意したとき、加藤は娘にはじめて告白したそうです。

「あの、ときどきかかってくる電話の『岡村さん』って実は岡村孝子で、私も『あみん』のメンバーだったのよ」

142.「UFO]

エドガー・ミッチェルは、1971年のアポロ14号で、アラン・シェパードとともに9時間17分の月面歩行を

したという記録をもっているが、最近のラジオ・インタビュー(2008.7.23)で驚くべきことを語った。

「UFO現象は事実であり、宇宙人は過去60年間、地球を訪問している。宇宙人の外観は

体が小さく、目と頭が大きいという、よく知られたイメージに似ている。ロズウェル事件は現実に

起こったことだ。宇宙人問題は政府によって隠蔽され続けてきたが、われわれのうちの何人かは

一部情報について説明を受ける幸運に浴した。そして私たちの何人かがその問題について

述べる特権を与えられている。これは情報開示の第一歩であり、私たちがその開示の先頭にいる。

いくつかの重要な組織が、その方向で動きつつある」

143.「ヒラリーステップ」

1953年ヒラリーとテンジンが挑んだエベレスト初登頂。

成功間際の彼らを阻んだのは、頂上直下(頂上との標高の差は80メートル)の高さ

12メートルの垂直に近い岩と氷壁でした。ふたりは2500mの滑落の危険を冒して

30分もかけて岩壁を登りきりました。ここは後に「ヒラリーステップ」と名づけられ、

幾多の人の登頂を諦めさせた難所です。ところが今では多い日には100人前後が

ここを行き来するようになり、固定ロープが張られ、岩の横に人がひとり通れるほどの

溝ができて登りやすくなりツアー登山隊の中高年も難なくクリアするほど。

テレビで見ましたが75歳の三浦雄一郎氏のエベレスト登頂シーンでは何本ものロープを

つかんで割と楽に登っていきました。下のはとてもいい写真です。ヒラリーステップを

超えて頂上に向かう人、ヒラリーステップに挑戦中の人、ヒラリーステップ登攀を待つ人

が写っています。

hillaryStep.jpg (44823 バイト)

BRITANNICA Onlineより

144.「ホームラン」

2008年5月1日のウェスタン・オレゴン対セントラル・ワシントンのソフトボールの試合。

サラ・トゥホルスキーは初のホームランを打ちました。ところが、一塁をまわったところで

膝のじん帯を損傷してしまい、歩くことさえできなくなりました。審判は、規定によりチーム

メートやコーチがアシストすればアウト、ピンチランナーを出せばホームランはヒットになると、

宣言しました。小柄なサラが打ったはじめてのホームランを、同僚、コーチたちはあきらめ

ようとしました。そのとき、なんと敵側のセントラル・ワシントンの二人の選手がアシストを申し出、

サラを抱えてダイヤモンドを一周したのです。敵味方から盛大な拍手が3人に浴びせられました。

http://jp.youtube.com/watch?v=xVlKtI7yd_s

145「間違い電話」

マイクは仕事の流れの中でこの日最後の電話をした。

マイクが何か言う前に電話の向こうで男性が「間違い電話だよ」と叫んで、

電話を切ってしまった。

マイクは注意深くダイアルし、もう一度電話をかけた。また男性が電話をとり、

「間違いだよ」と叫んで電話を切った。興味にかられてマイクは3度目の電話をかけた。

男性がひとことも言わないうちに尋ねた。

「これが間違い電話だってどうして分かるんですか?」

「なぜかって、私には電話してくるような人はいないから」

「でも私が電話したじゃないですか」と

マイクは笑いながら言った。ふたりは10分間話した。男の名はアーサーだった。

88歳で身寄りもなく一人で暮らしていた。すでに両親を失ったマイクにはアーサーと話すのは

父親と話すような気分だった。

数日後マイクはまた電話をかけた。また「間違い電話!」という声が聞こえた。

マイクはあらたまった声で言った。「間違いじゃないです。あなたと話したかったのです」

146.「簡単には泣かない男」 朝日新聞〜男のひといき

先日、妹の家に電話がかかってきた。

「警察のものですが、奥様ですね。たった今、お宅のご主人が車の交通事故で

人をひかれ、泣いていらっしゃいます」

今流行の振り込め詐欺である。

電話はこの後、警官役から泣き声の夫役へと交代し、

「事故を示談で済ませたいので、至急金を振り込んでくれ」と頼む展開だった

に違いない。

交通事故と偽って動転させたうえに、泣き声ならば本人の声と判別しにくい。

彼らは夫のその日の予定まで調べていたらしく、会話の中に移動先の地名を

織り込むなど、巧妙悪質な手口だった。

しかし、彼らが思ったようにはうまく運ばなかった。なぜなら電話に出た妹は、

20年以上に及ぶ結婚生活で、夫が簡単に泣くような男ではないことをよく知っていた。

「ご主人が泣いていらっしゃいます」と言われた時、電話の話がうそだと見抜いたという。

妻の夫に対する観察眼と冷静な判断力が、振り込め詐欺の撃退につながった。

その後、妹の子どもの結婚披露宴に出席する機会に恵まれた。

宴たけなわのころ、恒例の娘から両親への感謝の手紙が読み上げられた。

簡単には泣かない男が、何とポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐいながら

号泣を始めたのであった。

(山口市 杉太一 会社員 57歳)

147.「つながり」 とどさん

Xさんという先輩から聞いたお話しです。

XさんはA県の出身で、お母様は健在です。そのお母様は家具屋さんを営んでいた

そうです。

商売柄、人の名前と顔(そしてバックグラウンド)を覚えておくのが大切でした。

しかし、現在は土地を利用して賃貸マンションを建て、家賃収入で暮らしてゆくこと

になったそうです。

現在そのマンションは入居者募集をしているそうです。

それで、Xさんは気を揉んでいます。

現在のワンルームに入るような世代の人たちは、自分の名前を隣の人に知られたくない、

表札も出さないで欲しい、という感じだそうです。(隣は何をする人ぞ、という

のは災害の時の互助活動の障害になるので、昨今問題視されてはいますが...

Xさんによると、そのお母様が入居者の個人情報をあちこちで喋りそうで心配だとい

うのです。「田舎でしかも商売をしていたので、お客さんの個人情報を知って、ペラ

ペラいうのが悪いと思っていないんだよ。」とぼやいていました。

「けど、お客さんの個人情報を知っていることと、お袋のお節介が幸いしたエピソー

ドが一つあるんだよ。」と言って聞かせてくれたのが以下のストーリーです。

 〜〜〜〜〜〜

20年前、その家具店の従業員の親戚にY君という優秀な高校生がおりました。

大学受験では、国立A大学医学部と都会の私立Z医大の両方に合格したそうです。

おめでたい話しです。

当時は新設されたばかりのA大学医学部よりもZ医大の方がランクが上だったそうで

す。親御さんも6年間の学費の目処がたったので、Y君本人の希望通りZ医大に進む

ことが決まりました。

Y君親子は入学申込みのために、父親の運転する車で遠路都会まで向かいました。

しかし、その道中、大きな交通事故を起こしてしまいました。Y君は一命を取り留め

ましたが、父親は亡くなってしまいました。医学部6年間の学費は父親無しでは払え

ません。

Z医大の入学を諦め、就職するか浪人して他の道に進むかという状況になりました。

その話しを家具店の従業員(Y君の親戚)から聞かされた、Xさんのお母様は「チョ

ット待てよ」となりました。家具を買ってくれたお客さんに、A大学の事務長がいる

ことを思い出したのです。早速連絡を取ってY君のことをその事務長さんに伝えました。

偉いのは、その事務長さんです。夜なのに医学部の担当教授に相談しました。

その担当教授もY君の入試の結果を調べたところ、上位3分の1に入っていることが

分かりました。

そんなに優秀な学生だったら検討しようということで、緊急教授会が、その日の深夜

に召集され入学締切後の入学について議論がされました。その間、「本人の意思は?」

という話しになり、A大学から連絡が入り、家具店の従業員を通して、入院先の本人に

意思確認がされました。

バタバタと色々あった結果、Y君はA大学医学部にそのまま入学できることになりました。

現在Y先生はA県のW市立病院の外科医長をされています。

大学退官した元事務長が、最近亡くなったそうですが、当然その葬儀にY先生は駆け

つけたとのことです。

148.「なごり雪」 伊藤千尋さん〜朝日新聞 beから

「うたの旅人」の取材で大分県の伊勢正三さんの実家を訪れました。

伊勢さんの若いころ、長く伸ばした髪を寝ている間にお父さんがハサミで

切ろうとしたため、お母さんは眠らずに番をしたとか。

退学処分をめぐって高校側と激しくやり合ったときは「子が子なら親も親だ」と

言われたそうです。

伊勢さんの「旅立ち」にはお母さんの力が大きかったのですね。

「なごり雪」の詞は30以上もアイデアがわいたそうです。

「早起きの隣のおばあちゃんは、枯れ葉の掃除をしている」というのも。

冒頭のメロディーに乗せて歌うと、心がなごみます。

149.「私とベーブ・ルース」 SIさん〜I Thought My Father Was Godより

1947年、私が13歳の夏の土曜日だった。

いつものように父の事務所に遊びに行ったときのこと。

昼になって父のいいつけで、向かいのホテルのコーヒーショップまで二人分のサンドイッチを

買いに行った。ホテルのショップには、なんとベーブ・ルースがいた! あの伝説のベーブが。

ベーブは他の二人の男と座ってしゃべっていた。私はもうぼーっとなってしてしまい、ペンと

書くものを求めて父の所にかけ戻った。

「父さん、今ベーブ・ルースがいるよ!ペンと紙を貸して!」

父さんも興奮しながらペンと紙を渡してくれた。コーヒー・ショップに戻ると、ベーブは一人で

新聞を読んでいた。

私はおずおずと言った。「サインをいただけませんか?」

ベーブは私を見て微笑んだ。

「いいよ、坊や。ちょっと前までここにタイ・カッブもトリス・スピーカもいたんだぜ」

150.「兄弟」 こけさん

イチゴを食べていた二歳と四歳の息子

最後に一個残ったので

「はんぶんこしなさいね」と言ったら

四歳が半分かじってにこにこしながら

「おーちゃんが好きなほうを残したよ」

へたの方がかじってあった。

二歳もにこにこ、ママもにこにこ

151.「辻井伸行さん」

全盲のピアニスト 辻井伸行さんがクライバーン・コンクールで優勝しました。

いつだったかTVのインタビューでお父さんが信行さんについて涙ながらにこう

語っているのを見たことがあります。

「信行が子供の頃こう言ったのです。僕はこれからずっと目が見えなくてももいい。

でも一日だけ見えたらと思う。お母さんの顔を見てみたいんだ」

152.「散歩」 こけさん

犬の散歩中にシニアカーで散歩しているおばあちゃんに出会いました。

親しげに話しかけてくるので当たり障りの無い会話を交わして家に戻りました。

もう一頭の犬を連れて出かけたらまたそのおばあちゃんに会いました。

「あら、さっきの犬と違うねえ、何歳?」

もとは放浪していた犬ですからほんとの年齢はわかりません。

「そ〜、さっきの犬は何歳なの?」

あれももともとは野良育ちではっきりとはわからないんですよ。

「そう、やさしいねえ、(犬に向かって)やさしい人に出会ってよかったねえ」

やさしくもないですけどね、ほっとけなくてね。

「ほっとけないのがやさしいってことよ、でも、

いいことしてると必ずいいことがあるわよ」

そう思えるほど私は甘ちゃんじゃないわと内心で思いながらも

「そうだといいですね」と答えました。

おばあちゃんと別れて犬と歩きながら・・・ハッとしました。

いいことがあったじゃないの。

あのおばあちゃんにやさしい言葉を掛けてもらうことができたじゃないの。

言っているおばあちゃんもとてもおだやかなやさしい顔でした。

いいことがありました。

 

153.「ゴリラのビンティ」

                                           ビンティとクーラ

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雌ゴリラのビンティは生まれたとき、母ゴリラ、ルルの乳が十分でなかったため、

動物園の係り員の手で育てられ生き延びた。

1991年にシカゴ、イリノイ州のブルックフィールド動物園に移された。

人の手で育てられたゴリラを動物園の群れに戻すのは難しいが、ここでビンティは何とか適応し、

6歳のときグループの中のシルバーバックの子供を身ごもった。動物園関係者は、母ゴリラから

の母性の教育を受けてないビンティを心配しておもちゃの人形を与えて母乳のやり方を教えた。

娘のクーラが無事生まれて母娘はグループの中でにうまくやっていけるようになった。

そして事件は1996年8月16日に起こった。

その日ビンティは屋外でやさしく娘のクーラの毛づくろいをしていた。来園者たちはゴリラたちの

様子を楽しんで見ていた。そのとき柵のそばで身を乗り出して遊んでいた3歳の坊やが落ちて

5メートル下のコンクリートに叩きつけられ、意識を失って倒れた。坊やの母親は悲鳴を上げて

助けを求めた。かけつけた係り員が上から放水して、近づこうとするゴリラを制した。

水煙が立つ中を一頭のゴリラが坊やを抱き上げた。人々の悲鳴があちこちで上がった。

ゴリラはビンティだった。自分の娘クーラを肩にはわせ、坊やを両手で胸に抱きしめ、係り員が

出入りするドアに抱えて行った。大きな雌ゴリラが近づくと小さく唸って追い散らして坊やを守った。

係り員がそのドアにかけつける前に、ビンティは坊やをドアの前にそっと置いて立ち去った。

坊やは直ちに救急車に乗せられ病院に向かい、4日間の入院の後、無事退院することが

できたのだった。


坊やを抱くビンティと坊やをドアのそばに置くビンティ。

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154.「日本の老舗」 〜〜ある新聞コラムより要約 とどさん

わが国には、驚くほど老舗が多いそうです。大部分が家族企業で、物作りを

しています。

世界最古の会社は大阪の「金剛組」だといわれているそうです。

飛鳥時代には難波の四天王寺を建設したそうで、1400歳以上とのこと。

これは別としても、日本には200歳以上の企業が3000社以上あるとのことです。

日本の誇りです。ドイツの2倍以上、フランスやオランダより断然多いらしいです。

他の諸外国は問題外ですね。

技術・経営に関する知的財産、優れた後継者の育成、時代への変化への適応能力の

賜物だと思います。

155.「落としましたよ〜」 とどさん

先日、地下鉄に乗っていたときです。

ある駅で電車のドアが開いたときに「落としましたよ〜」という男性の声がしました。

見ると、誰かが落としたサイフらしき物を持って、若い男性が追いかけています。

落とし主はイヤフォンをしているらしく聞こえていないようです。

そのまま、エレベータに乗ってしまいました。

拾ったお兄さんはエレベータの中まで追いかけて、無事手渡すことが出来たようです。

こちらに戻ってきました。

そこで、プシューッっと彼の鼻の前でドアがしまりました。

電車は彼を残して発車してしまいました。

しかし、彼のことを同じ車輌の皆が見ていたいました。

誰もが、彼を賞賛し、良いことをしたのに電車に乗り遅れて可愛そうと同情し、

そして少し幸せな気分に浸っていました。おにいさん、ありがとう。

「癒されるとき」

156.「忘れ物」 とどさん

20091214日 日経夕刊コラム記事「あすへの話題」

(作家 荻野アンナ氏)

疲労がたまると、列強を相手に南洋の孤島で戦う日本兵のイメージが

浮かぶ。些事の蓄積が、自分の中でぱんぱんに膨らんでいる。

そんなとき、なし崩しに癒されることがあり、きっかけは、やはり些事

なのだ。授業のあと日吉の駅前で買い物をした。背中にリュック、手に

バッグだったのだが、紙袋がいくつか増えた。

ホームで電話中に電車が滑り込み、慌てて飛び乗った。満員だったが

最後は座れ、終点の元町・中華街に到着した。降りようとして気づいた。

紙袋がひとつ足りない。車内には見当たらない、ということは、日吉駅の

ベンチに置き忘れた可能性が高い。袋の中身がトイレットペーパーなら

諦めて帰宅したところだ。手作り高級チーズその他のために、私は日吉へ

とんぼ返りした。ホームのベンチを確認してから改札の駅員に尋ねた。

中身を聞かれた。「チーズとピザと・・・

駅員さん、ニヤリとして、いったん奥に消えた。再び現れた手に紙袋がある。

「ちゃんと冷蔵庫で保存しておきましたよ」

その小さな喜びで、孤島の日本兵は人類への信頼を取り戻し、日常という

名の戦場に戻っていく。

157.rescuing hug(命のハグ)」

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この写真は「rescuing hug(命のハグ)」として知られているものです。

1995年に未熟児で生まれた、この双子は別々のインキュベーターで

育てられていました。

右の姉(キリー)は体重も増え順調に育ったのですが、左の妹(ブリーレ)は

体重が増えず心拍と体温に異常があり、生き延びることは難しいと考えられ

ていました。

泣きっぱなしで、チアノーゼがでたため、思い余ったナースはふたりを一つの

インキュベーターに移しました。

医師やナースが驚いたことに、すぐに姉のキリーが妹をハグするように腕を

まわしたのです。妹は泣きやみ、脈の異常も改善し、回復していったとのことです。

158.「プリシラ・ティラドの死闘」

1982年1月13日にプリシラ・ティラドは、夫と生後2カ月の息子とともにフロリダ

航空機に搭乗した。機は離陸直後に氷のポトマック川に墜落し、乗客5人のみが

生還できただけだった。

夫と子どもを失ったプリシラは目に入ったガソリンのため視力を失い、ヘリからの

命綱を握る力もなく、冷たい氷の中で力尽きようとしていた・・・。

159.「親子電車」 とどさん

男は田舎の鉄道のすぐ近くで育った。畑の脇を駆け抜ける蒸気機関車を

眺めながら暮らした。それが次第に憧れに変わり、いつしか国鉄に就職していた。 

勤めてからがむしゃらに働き、月日は流れ、気づくと東京に転勤し、家庭を

持っていた。徐々に昇進し、本社で机を前に働いていた。 

ふと昔の憧れを思い出し、志願して現場に戻った。新宿駅の勤務などを経て、

渋谷駅の駅長になっていた。充実した毎日だった。

ある日の夕食のとき、妻が言った。

「あなた、あの子、就職決まったわよ」

「ほぉ、どこに?」

「えっ、なあに、知らなかったの?東日本旅客鉄道よ」 

息子がJRに勤めることになるのを知らなかった。少し気まずかったが、何ともいえ

ない感慨があった。

定年が近づいたある誕生日の前日、山手線の運転士をしている息子が

話しかけてきた。

「おやじ、あした非番だろ、俺の運転する電車乗ってくれよ」 

 何事かと思ったが、翌日言われるまま大崎駅のホームで息子の運転する列車を

待った。 照れながら運転室に入り、立ったまま電車は発車した。

 五反田、目黒、恵比寿と電車は進み、渋谷駅の到着が近づいた。 

 運転席から進行方向を凝視していると、電車を待つ乗客で混雑するホームに、

10数メートルおきに等間隔で助役以下の職員が並んでいる。 

 駅員が並んでいることに気づいている乗客はだれもいないだろう。彼らは列車が

接近すると次々に敬礼して、2人の乗った列車の到着を迎えた。

男の頬に熱いものが流れていた。

160.「錯覚」

AとBが同じ色?まさか!

周囲の色、光や影に影響されて人間の目がいとも簡単に錯覚してしまうんですね。

エドワード・アデルソン(Edward H. Adelson)の錯視として有名です。

                                                          ちょっといい話、募集中です!   

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