幸福のメールPART1                                  hyoushilogo2.gif (1530 バイト)

ある日、ぼくが友達とファミコンをしていると 通りかかった母が、 「おまえたちはいいねぇ、毎日がエブリデイで」 と言った。 母はいったい 何がいいたかったのだろぅ・・・・。

家族揃って夕食をとっているとき、何かの拍子に怒った父が、 「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」 と言おうとして、 「誰のためにメシ食ってんだ!」 と怒鳴った。 私と姉は「自分のためだよ」と答えた。

夫婦ゲンカのとき、父が母に「バカモノ!」 と言うのを、間違って、 「バケモノ!」と怒鳴ってしまった。ケンカはさらにひどくなった。

うちの母は、頭が痛くなると氷でおでこを冷やします。 先日も夜中にかなり痛みがひどくなり、 暗闇の中をフラフラしながら台所へ。 冷凍庫から、あらかじめビニール袋に入れてある氷を取り出して、 おでこにのせて眠りました・・・。 翌朝、目が覚めてみると、 母の枕元には解凍されたイカが転がってました。

甘味屋さんで、母は田舎汁粉を、私は御膳汁粉を頼みました。 店員さんが、  「田舎はどちらですか?」 と聞いたら、 母はとっさに、「はい、新潟です」 と答えてしまいました。

先日、父は、男にフラれて落ち込んでいた姉をなぐさめようとして、 「おまえ、人間は顔じゃないぞ」 と言うところを、 「おまえの顔は人間じゃないぞ」 と言ってしまった。

妹が夕食にスパゲティを作ってくれることになりました。 妹は、「今日はカルボナーラを作るね」 と母に言っていました。 夕方、私が外から帰ると母が、 「もうすぐボラギノールができるってよ」 と言いました。 ソレって痔の薬じゃ‥‥‥?

エアロビクスを習いに外出していた私に、友達から電話がありました。 横文字に弱い母は何を思ったのか、 「磨子はアクロバットに行っています」 と答えたそうだ。

弟は、誰に似たのかと? アメリカに留学することになった。そのとき、母は親戚や近所の人に、 「うちの息子をアメリカにホームレスにやるんですよ」 と言って、 自慢して歩いていた。 ホームステイとホームレスを間違えていたのである。

先日、プロ野球ニュースを見ていたときのこと。 「ヤクルトのルーキー、伊東」 と聞いて、母は、 「日本人ぽい人ネ」 と言った。

私の母は62歳。 記憶力が悪いからと、キャッシュカードの裏に 黒のマジックで大きく、その暗証番号を書いている。

先日、父はメガネを作りに行った際、 「無色ですか?」 と店員にレンズの色を聞かれると、 何を勘違いしたのか、 「いえ、銀行員です」 と、自分の職業を答えていた。

うちの父は、沖縄に向かう飛行機の中でエラソ〜に、 「沖縄は島全体が『さんしょううお』なんだぞ!」 と言った。 それを言うなら、サンゴ礁だろ!!

(追加)私の高校時代に鈴木健という体育の教師がいた。 皆からバカ健と呼ばれていた。それはなぜかというと? ある日の体育の授業中の事、バカ健が言った、 「それでは出席番号で列をつくるぞ。偶数は左、 奇数は右、他は真ん中、まわれ〜 右!」 真ん中に並ぶ者は誰もいなかった。

修学旅行中、金沢の兼六園を訪れた時、看板に「鯉の餌10円」 彼は10円玉を投げていた。

課外研修でバスで移動した時、バスの入り口に「後乗り」と あった。 彼は後ろ向きでバスの階段を登っていった。

幸福のメールPART2

私の家はクリーニング屋です。ある日お客さんが、 「いま、セール中ですか?」 と聞いたのを母は、 「いま、生理中ですか?」 と聞き間違え、 「もう、3年前に終わりました」 と言ってしまった。

母は、まだ40代前半の若き頃、私の受験用航空券を買いに行き、 旅行代理店のお姉さんに、 「スカイメイトでお願いします」 と言うところを、 「スクールメイツでお願いします」 と言って、店内の時を止めてしまった。

夕食後、テーブルの横でうたた寝をしていた父が うなされていたので、私は母と、「悪い夢でも見ているのかな?」 と話していると、突然、「ライダー、助けてっ!」 と父が叫んだ。 ちなみに父は56歳です。

うちの母がテレビを見ていると、美人のアナウンサーが出てきた。 母は、「こんな人が嫁に来てくれるといいわ」  と言ってニコニコしていたが、 ウチの家族で男はお父さんしかいない。 母は、いったい誰の嫁がほしいのだろうか・・・・・。

お風呂に入っていた父が、突然、大声でわめきだしました。 「大変、大変! どっかから鼻血が出てる!」 いったい、父のどこから「鼻血」が出たのでしょうか・・・・?

私の母方のおばあちゃんの話しです。お医者さんに行き、 「お尻に入れなさい」 と渡された座薬を、 おばあちゃんは、お汁に入れて飲んでしまいました。

うちの父は、強風が吹いたり雨が降ったりすると、空に向かって、 「バカヤロー!ろくなもんじゃねえな〜」 と必ず叫びます。 台風がきたときなど、そりゃあもう、大騒ぎです。

うちの母はガソリンスタンドで給油したとき、 給油口のレバーと間違って、リクライニングシートのレバーを引き、 後ろへ大きくのけぞってしまった。

父が交通事故にあい、私が病院に駆けつけたとき、父が 「真希ーっ」と苦しそうに私を呼んだので、 「どうしたん?」 とベッドに近づくと、 「しっかりせーよ」 と父が言った。 私は心の中で、「おまえもな」 と返事した。 隣をみると、看護婦さんが笑いをこらえていた。

ボクが夜、勉強していると母が寝言で、 「れんこんが追ってくるので、はよ逃げ!」 と大きな声で言った。 ボクは、どこへ逃げようか迷ってしまった。

僕の彼女は、ケーキ屋で、それと、あれと、と指差しながら  注文していたら、 店員に「名前を言って下さい」 と言われ、思わず、 「こずえ」 と自分の名前を言っていた。 

幸福メール・音楽家向け

私の友人(うた科)は昔、シューベルトの「鱒」のことを 事もあろうに 師匠の前で 「たる」と読んだ。 その日以来、2度とその歌は歌わせてもらえなかったそうだ。

私の師匠から聞いた話だが、昔、彼の生徒の一人が真剣な顔で 「先生っ、ショパン って 日本人の友達がいたんっすか?」 というので「なんでだ。」ときくと 「だっ て英雄ポロネーズっていうのがあるじゃないですか。」 と答えたらしい。アンタ、 それは「ひでお」じゃないだろー。

昔、ちょっといいな・・と思う男性とデートをした。 クラシックが好きだというの で、CD売り場へ行くと、 「あ、ボクこの、イツシマミドリって人の演奏、よく聴 く んだよね。」といった。その人とはそれっきり会っていない。

昔、ポピュラー音楽の授業のテストで、「エルビスプレスリーの 音楽の特徴を述べ よ」という問題がでた。 あとで皆で答え合わせをしている時、1人の友人がプレス リーの特徴を 「もみあげ」と書いていたことが発覚した。

私がやめられないのは、伴奏の本番前にステマネの人に 「ピアノのふたはどうしま すか?」とたずねられた時 「満開にして下さい」と答えてしまうこと。 だってやめ られないんだもん。

オケマンとの飲み会の席で、あるフルート奏者に 「フルートの穴って全部で何個あ るんですか?」 と訊ねたら、彼は突然人が変わって、 会の間ずっと無口になってし まった。 へぇ〜、そういうのって知らないもんなんだ〜。

大学院の入試前、私の友人はロシア5人組の名前を覚えるのに 「ばりっ、ぼきっ、 むっ・・」と短縮作戦にでていた。 (注:バラキレフ・リムスキーコルサコフ・ボ ロディン・キュイ・ ムソルグスキーの頭文字。) 彼女がフランス6人組も同様に覚 えたのはいうまでもない。

私の友人は、大学院を受ける後輩から「パレストリーナ」 についての質問をされた 時、本当は知らないクセに 見栄を張ってとっさに「人名でないことだけは確かだ よ。」 といってしまったそうだ。 ちなみに彼女はちゃ〜んと院を卒業した。

  私は中学生のとき、初めてホロビッツの演奏(CD)をきいた。 「なんて下手な人 なんだろう・・ミスばっか!」と思った。 高校生のとき、今度はその演奏を映像で みた。 「この人はきっと小さい時、ピアノの先生に指の形を直されなかった 可哀相 な人なんだ」と思った。 大学生のとき、彼の演奏に突然目覚め、音の出し方からオ クターブ下で 弾いたりすることまで、全て彼のまねをしたら、師匠にこっぴどく 怒 られた。私はこういう人間です。

私の友人が、[lamentabile]という楽語を覚えるのに 「ラーメン、食〜べれ」(注: 東北弁風に)というのを思いついた。 たとえその意味は忘れても、この言葉は一生 忘れないだろう。 ちなみに意味は「悲しげに」である。


幸福のメール 第2弾!! 〜某音大生の証言〜

ある日、ピアノのコンサートで開演前、アナウンスが流れた。 「皆様、本日は演奏 者が腱鞘炎のため、やむを得ず楽譜をみて演奏させて頂きます。」

私の友人で、高校生のとき「ペダルがうるさい!」と先生にいわれて 翌日、うわば きにスポンジを縫い付けてきたヤツがいた。

実技試験の日、自分が審査する部屋を間違えていることに、休憩まで 気付かなかっ た先生がいた。そんな先生がいたことを、その部屋の先生たちは 誰一人として気付 かなかった。

友人と2台ピアノ「スカラムーシュ」をのりのりで弾いた。 本番の最中、どうもハ モらないので相棒が間違えたかと思い、 キッと横をにらんだら、単に私が相手のパ ートを弾いていただけだった。

声楽科の友人で、実技の試験前、絶好調に高音をだしまくって 悲しいことに本番で だけ、それが出なかった人がいる。

私は昔、ある伴奏の本番で大変なことをしでかしたことがある。 カルメンの「闘牛 師のうた」で、最後の和音をカッコ良くキメる筈が、なんと 「5度」で終止してし まったのだ。歌っていた人も聴いていた人も、勿論弾いていた 当人も、何だか気持 ち悪い雰囲気でその場が終わった。

音教の仕事で地方の小学校へいった。 「はい、誰か四分の二拍子の説明ができる人 ぉ〜?!」ときくと どこからか小さな声が聞こえた。「約分しないんですか?」

私の先生・その1 私のピアノの先生は忘れっぽい。 ある日、あまりにも不勉強な私 に先生は言った。 「今度この曲を暗譜してこなければ、あなたは破門ですっ!」 次 のレッスンで、私は殆ど脅えながら暗譜で弾いた。 そしたら先生は・・「あら、ア ナタ。まだ暗譜は早いわよ。」 先生、ありがとう。

ある男の先輩のアパートで伴奏合わせをすることになった。 部屋に入るとピアノの 横には巨大ベットが・・。 襲われたらどうしようかと本気で脅えたが、何もなかっ た。 あとで友達にそれを話すと「知らないの?あの人ホモだよ。」 それをきいて私 は再び震え上がった。

私の先生・その2 私の先生は語学にとんでいる。 ある生徒のレッスンで先生は叫ん だ。 「ノン!(仏語 注:違う!)レガート(伊語 注:なめらかに) でしょっ! 何度いったらわかるのっ!」 そしてその生徒は更に大げさな「ノンレガート」で弾 いたのだった。

私の先生 その3 レッスンにリストの「超絶技巧練習曲」をもって いった。 はじめのオクターブを両手で弾いたら「それじゃあ、この曲をつくった リ ストに申し訳がないでしょ。」と、片手で弾くように注意された。 その後、あるリ スト弾きで有名なオバさんが我が校にきて、たまたま 同じ曲を弾くことになった。 私の頭に、あの「オクターブ」が甦った。 しかし期待に胸を膨らませた私はその 後、彼女がイスに座りおもむろに両手を鍵盤 におくと、いとも涼しい顔でオクター ブを弾く姿をみてしまうのだった。

彼にフラれた。 ヤツは「オレ、こいつの方が大事だからさ」・・とヴァイオリンを 指さした。 今すぐそれをもぎ取って3階の窓から落としてやろうかと思ったが 器物 損壊罪で訴えられ「だって私のことフルんだもん。」と言い張る私が あっけなく法 廷で破れ、多額の金を請求され途方に暮れる姿を想像したら、 急にアホらしくなっ たのでやめた。

私の友人は以前、親戚のお通夜でケータイのオリジナル着信音「笑点」 のテーマが なってしまったらしい。

絶対音感はつらい。 私のケータイは「ソ」の音がする。どこにいても何をしていて も 「ソ」の音が聞こえるとたちまち敏感に反応してしまう私。 誰か私をケータイ電 話のない世界に連れていってくれー。

音大を卒業したとき、謝恩会の席で「さぁ、これで君たちは 私の商売道具ではなく なった。ためらわずに思う存分、私の胸に飛び込んで おいで。」といった先生がい た。

おはようから、おやすみまで暮らしをみつめるストーカー
  
友人は入社試験の面接で、余りに緊張してしまい、「家業はなん
ですか?」との質問に「カキクケコ」と答えてしまい、家に帰るまで
なんで「カ行」を尋ねられたかわからなかったそうだ。

「JUNKO]というデザイナーのネーム入りトイレマットを敷いた日、
夫は「J]の文字を踏んでいたらしく、トイレを出るなり
「あのマットはなんだ!!!!」

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