101冊の徹夜本                        hyoushilogo2.gif (1530 バイト)  (ネタばれ注意!)      book.gif (1868 バイト)     


ここに挙げた本たちは、私に徹夜をもさせた、徹夜本です。私は乱読派ですが、最も好むジャンルはノン・フィクションです。
人生は短かく、読みたい本はあまりに多いです。

「火星の人類学者」オリヴァー・サックス

自閉症の定義は、古典的な「自閉症」に、もっと軽度のアスペルガー型自閉症を包括して変化してきている。脳神経科医のオリバー・サックスは、アスペルガー型自閉症にもかかわらず動物学の助教授のかたわら事業の経営もしているテンプル・グランディンを訪問する。そのおりの、サックスの驚きの体験の記録である。アスペルガー自閉症患者は他者の複雑な感情を理解することができず、人の行動の予測ができない。そのためグランディンは何年もかけて膨大な「経験のライブラリー」をつくり、それを適用することで他人がどう行動するかを予測できるようになった。この作業のことを彼女はまるで火星の人類学者のようだ、と形容し、それが本のタイトルとなった。グランディンとサックスの別れの場面は美しく、忘れがたい。

「昏き目の暗殺者」マーガレット・アドウッド

著者はカナダの女流、マーガレット・アドウッドで、本作でブッカー賞を受賞した。訳は鴻巣友季子氏。「戦争が終結して十日後のこと、妹のローラの運転する車が橋から墜落した。・・」ではじまる壮大な小説。
今は高齢となった私(アイリス)の現在と過去のできごとの語りを中心に据え、同時並行するかたちで『ローラの書いた』小説「昏き目の暗殺者」が紹介され、さらにその小説の中の男女が語るファンタジー物語までも登場するマトリョーシカ構造をもつ。これに過去の新聞記事が有機的に絡み、いっそう複雑な構造を呈する。小説の序盤で新聞によるアイリスの近親の死亡記事が数件示され、この小説の方向性がある程度想像される。アイリスは冗長なまでに語りに語る、彼女の一族の盛衰、自分の結婚、過去への悔恨、老齢や現在のあらゆるものに対するグチを。その哀しい語りの中で徐々に明かされていく幾つもの秘密。アイリスは人生の岐路でも自分の意思では何もしなかった。流れに身を任せ、周囲のお膳立てで生きていく女性。彼女が生まれてはじめて自分の意思てしたことは? 「昏き目の暗殺者」とは?・・・。この小説をひっくり返すようなラストのどんでん返しには呆然として息を詰める。鴻巣友季子氏の訳文はいつもかっこよくて惚れ惚れしてしまう。本のタイトルや作者よりも訳者としての彼女の本を選ぶファンが多いのも頷ける。

「エンデュアランス号」キャロライン・アレクザンダー

イギリスの探検家シャクルトンは世界初の南極大陸横断を果たすため1914年12月に28名の隊員を率いて南極大陸に向かう。しかし、大陸の直前で氷に阻まれ、エンデュアランス号もろとも氷に閉じ込められ漂流する。氷が解ける直前に脱出したかれ等は、幾多の困難を乗り越え、エレファント島にたどり着く。さらにそこから7人で小型の船を操り1300km離れたサウス・ジョージア島に助けをもとめて航海する、まさに奇跡の航海である。出発から1年半、シャクルトンは28人全員、ひとり欠けることもなく連れ帰ったのである。類まれな勇気をもった男たちの壮絶な記録である。探検に同行したハーレーの撮影した写真が多数掲載されている。

「ヒヤシンス・ブルーの少女」スーザン・ヴリーランド

一枚のフェルメールの絵、「赤茶色のスカートにブルーのスモックを着て窓辺に座っている少女」(もちろん架空の絵)を父からもらい受けた数学教授。その絵の出自には忌まわしい物語があり、彼はそれが明るみにでることを恐れ、ひっそりと暮らしている。連作の短編はこのような話から始まる。小説は、つぎつぎと変わる絵の所有者とそれに係わる人々を追って、過去へ過去へと時代を遡っていく。そして最後の短編では17世紀の^デルフトに到る。そこで、この絵が描かれた経緯、少女の謎が明かされ、静かな感動が呼び起こされる。フェルメールの絵のように、やわらかい光に満ちた小説。

「日露戦争下の日本」ソフィア・フォン・タイル

日露戦争時のロシア軍捕虜は四国の松山に送られ、国際法の遵守に躍起だった日本政府により寛大な処遇を与えられた。この捕虜のなかに重傷の元外交官の将校ウラジミールがいた。電報で報告を受けた妻のソフィアは彼を看護するために遥かペテルブルグから日本の松山にやってきた。彼女は夫にかいがいしく仕え、日本の文化を愛で、松山の人々と交流する。彼女の澄んだ目に映る市井の日本人のつつましやかで凛々しく、矜持を保った姿には感動を禁じえない。

「アルツハイマー ある愛の記録」アン・デヴィッドソン

アルツハイマー病患者の介護の記録は夥しく刊行されている。この本が他の類書と際立って違う点は、高度な知性を所持していた生理学の教授が自分から言語と知性が失われつつあることを自覚し、妻と苦しむ過程が描かれていることである。アルツハイマー病初期の1年間の夫妻の記録で、病識(自分が病気であるという自覚)を有する患者の苦悩の叫びに打たれる。その言葉はある意味とても恐ろしく衝撃的である。「言葉がどんどん消えていくんだよ。何か考えて口に出そうとする、その端から言葉が消えていく。その言葉を探しているうちに考えも消えてしまうんだよ。ぼくは、これからもっと言葉を失い、知的ではいられなくなる。だから今のうちに人生を一緒に楽しもう」

「パブロを殺せ」マーク・ボウデン

世界有数の麻薬王国コロンビアのメデジンに生まれ、一代にして麻薬カルテルの王になった男、パブロ・エスコバル。豊富な資金で政府も警察も買収し、敵対するものは容赦なく暗殺し、またたくまに世界の7番目の資産家となった。アメリカへの麻薬激増やコロンビア政府の倒壊をおそれたアメリカはパブロの追跡・暗殺を目論む。DEA(アメリカ麻薬取締り局)、CIA、陸軍の部隊、コロンビア政府の特捜隊の協力にもかかわらず、パブロを捕らえることができず、犠牲者のみが増えていくだけ・・。「ブラックホーク・ダウン」の著者が豊富な資料をもとにこの麻薬戦争を再現した。

「情熱の女流『昆虫画家』メーリアン 波乱万丈の生涯」中野京子

ドイツのお札には2人のドイツ女性の肖像が使われています。100マルク札がクララ・シューマンで、500マルク札がマリア・シビラ・メリアン(1647−1717)です。
メリアンは幼児から友人とも交わらず、昆虫に興味を寄せ、長じてその観察・記録を絵という芸術媒体に高めていきました。昆虫の変態をはじめて観察・記録したのもメリアンでした。52歳で娘を連れて、命の危険も顧みず、南アメリカのスリナムにわたり、2年間昆虫などの観察をし、帰国後、「スリナム産昆虫の変態」を出版し、名声を確立したのです。本書には彼女が描いた絵が3枚収載されていますが、動物たちが色彩豊かにダイナミックに描写され、実に魅力的で、現代の絵と見まがうほどの「洗練」に驚かされます。訳者の中野京子氏の文体は好きで、手元には「映画の中のオペラ」もあります。

http://www.audubonart.com/02_gall_mer1.asp

「アルケミスト」パウロ・コエーリョ

スペイン、アンダルシアの羊飼いの少年サンチャゴは、ある日ピラミッドのそばで宝物を見つける夢を見た。少年はその夢を信じ、アフリカの砂漠を越えエジプトに渡る。さまざまの困難や人との出会いと別れを体験し、少年は人生の真実や知恵を学んでゆく。全世界で一千万部を売ったブラジルのコエーリョの小説。「お前が何かを成し遂げようと心から願う時、全宇宙が協力してお前を助けてくれるよ」「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、おまえの心に言ってやるがよい」「何をしていようとも、この地上のすべての人は、世界の歴史の中で中心的な役割をしている。そして普通はそれを知らないのだ」というような言葉が散りばめられている。「アルケミスト」では「星の王子様」とは違って実際に「宝物」を手にいれるのである。この小説のラストのすばらしさは忘れがたい!

「アフリカの日々」 アイザック・ディネーセン

「私はアフリカに農園を持っていた・・」ではじまる、著者がアフリカで過ごした1941年からの18年間の思い出を淡々と綴る自伝。自伝ものは好きではないが、これは唯一の例外。彼女は結婚し、アフリカにわたり農園を経営する。夫の浮気、性病の罹患、治療のためにデンマークへの一時帰国、デニスとの恋、帰国。さまざまな人々、事物、動物、植物にたいする関わりを、彼女はユーモアと高潔さと抑制された筆致で淡々と述べている。映画「愛と哀しみの果て」の原作ではあるが、映画とはまったく別物である(「愛と哀しみの果て」も好きな映画)。ディネーセンは、「バベットの晩餐会」の著者でもある

「前世を記憶する20人の子供」 スティーブンソン

ヴァージニア大学のスティーブンソンは、確度の高い20人の詳細な生まれ変わり事例を提示し、「生まれ変わり」をはじめて科学的に検証した。ある日、突然に前世の記憶を喋り出し、その前世で生活した場に戻りたいといい始める子供に両親はとまどう。子供にせがまれて親は前世の生活の場に行き、そこでで示す、子供の前世の姿に驚嘆する。前世の夫や親にかいがいしく尽くしたり、友人の顔を見分け、その土地の方言で喋ったりするのである。多くの例では、その前世の記憶は徐々に薄らいで、子供たちは元の生活に戻っていく。この本ではインドでの事例が圧倒的に多いが、他国での事例も載っている。

「フル・ムーン」 ライト

NASA秘蔵の数万点の写真から選ばれた、高画質の写真が満載の写真集。パノラマ数点も含め、いままで未公開だった写真が多い。月の周回軌道からではなくては写せない「地球の出」や、月の環境から100万年は消えない宇宙飛行士の靴跡など興味深い。飛行士の月面での感想には鳥肌がたつくらいに驚く。「月の直径は地球の4分の1なので、地平線がカーブして見え、ほんとに今、球体の上にいることを実感できる・・・」

「緋色の記憶」クック

このサイトにときどき顔をみせてくれる、鴻巣友季子さんが訳された小説。表面的には決着した70年前の事件を、語り手の老弁護士(当時、事件の渦中にいた少年)が事件の回顧の形をとり現在と過去を行き来しながら、ゆっくりと事件の核心を明らかにしていく…。人間の避けられない業、弱さ、そして愚行。抑制された筆致ながら、人物、背景の描写がすばらしく、豊潤な文学作品の香りがし、最後には静かな感動が味わえる。私は暗いテーマにもどこか救いが欲しい方なので、この小説のラストにはカタルシスを味わうことができた。エリザベスが従容として罰を受ける場面、ヘンリーが家庭を持てないほどに絶望しながらアリスに許しを乞うところ、ヘンリーの父が自分に出来る精一杯の勇気をだしてエリザベスを抱きしめるところ、ここは涙がとまらない。私の99年のミステリのベスト。

「マンスフィールド短編集」『園遊会』 マンスフィールド

大人への入り口にさしかかった少女がはじめて出会う大人の「人生」へのとまどいをマンスフィールドが印象的、象徴的に描いた作品。大人の偽善から思わぬ体験を強いられた少女が、迎えにきた唯一の理解者の兄にむかって、「人生って・・」と泣く姿は痛々しい。この瑞々しい短編は、少年時代の懐かしさと共感を呼ぶ。ここで原文が読める。

「盲導犬 ダイナ」 サリヴァン/ホワイト

ゴールデン・レトリーヴァーのダイナが老齢のため盲導犬の役を果たせなくなり、第2の「人生」を必死に歩む姿を愛をこめて描いたノン・フィクション。白内障のため初めて盲導に失敗し、それでも主人を守ろうと苦闘する場面、主人と別れ、第2の主人である「私」と対面する場面は、今でも涙なくしては読めない。「主人が車で去るのを、ダイナはただそこに立って眺めていた。私と二人きりとなったダイナがどうなるのか見当もつかなかった。前のようにふさぎ込むのか、主人との別れに苦しむのか?『さてと、ダイナ。どう?大丈夫かな?』私は明るい声で呼びかけた。ほんの一瞬、ダイナは動かなかった。ふいに彼女はこちらに向きなおり、それから私のほうに跳んできた。そう、本当に跳んできたのだ」

「バウンティ号の叛乱」 ホフ

ホフは夥しい資料を駆使して世に名高い「バウンティ号の叛乱」を再現した。1789年4月に使命を終えたバウンティ号は帰国の途についた。ところがトンガ諸島沖で、一等航海士のクリスチャンらはブライ艦長ら18人をバウンティ号から追放し、8ヶ月間「夢の日々」を過ごしたタヒチに再度向かう。タヒチでなかば強制的にタヒチ人 24人(男 6人、女 18人)を船に乗せ、合計 33人で永住の土地を求めて出航する。放浪の果てにタヒチから南東、2200kmにあるピトケアン島を発見し上陸する。この後に彼らを待ち受ける運命はドラマより過酷で劇的である。人間の弱さと強さ、愚かさと賢さにはただ息をつめるしかない。

「動物に愛はあるか」 バートン

動物たちには、思いやり、他者への同情や悲しみ、無償の愛などといった人間に特有とされる感情がみられるのだろうか。利他的にみえる行動も遺伝子に支配されたただの反応なのか。こういった疑問を多数の動物のエピソードと、社会生物学的見地から考察をくわえた好著である。バートンは古典的な擬人主義に陥らないためか結論を出すのに慎重であり、読者にとっては歯がゆい面もある。ここに収められた数々の動物たちの勇気、無私の愛、利他的行動をみると、人間によりも動物にこそそれがあるのではないかと思わせる。

「恐るべき空白」 ムーアヘッド

1860年8月、バークを隊長とするオーストラリア縦断探検隊がメルボルンを出発した。ひたすら北上し、オーストラリア北端のカーペンタリア湾に達する行程。14名の隊員と 27頭のラクダと桁違いの費用をかけて出発した探検隊は北端に達した後、困難な道なき道をまた戻らなければならない。広大な砂漠の広がるオーストラリア内陸部の酷暑、寒冷、乾燥のなかををひたすら歩き続ける。選ばれた 4名の先遣隊のうちの 2人は困難な努力の末、息絶え絶えの状態で、ついに前人未踏のオーストラリア北端に達する。疲労困憊の 4名が補給キャンプに戻ってみると、仲間たちはたった 9時間前にそのキャンプを引き払った後だった。ムーアヘッドの筆致は冴え、読者は探検隊と同じような苦しみを体験できる。飢餓と酷暑と寒冷に苦しめられながら、原住民の助けで 4名の先遣隊員のうちたった 1人のみが救出されるのである。

「ジャイアンツ・ハウス」 マクラッケン

このサイトにときどき顔をみせてくれる、鴻巣友季子さんが訳された小説。風変わりな「愛」の物語である。25才の司書の女性ペギーが11才の巨人症の少年ジェイムズに出会う。後年、彼女が、少年の家族との交流、ジェイムズとの「結婚」、死別を回想の形で描いた作品。ペギーは皮肉屋であり自分以外の(あるいは自分をも含めた)すべてに常に文句を言い、人を愛することも、人から愛されることも知らない女性である。彼女はジェイムズやその家族たちにより徐々に「解放」されていき、ほんとうの自分を発見する。
ジェイムズ、ミセス・スウェット(ジェイムズの母)、カロライン(ジェイムズの叔母)には優しい視点が注がれ、魅力ある人物像として描かれている。ペギーのあれよあれよというまの「暴走」に振り回され、唖然とするが、最後にはペギーに対する深い共感を感じている自分に驚く。

「卑弥呼の謎」 安本美典

邪馬台国はどこにあったか? 卑弥呼はだれなのか? この問題は諸説入り乱れて混沌としている。数理文献学の安本美典氏は先人の研究と数理文献学からみた自説を取りいれて魅力的で説得力のある説を展開している。「古事記」と『和名抄』から北九州の甘木地方と大和の地名が数多く一致し、これは北九州から大和への集団移住(東遷)があったことを伝えるのではないかという。「邪馬台国東遷説」で、邪馬台国=甘木と比定する。
さらに、古代天皇の平均在位年数から逆算すると卑弥呼にピタリと符合するのは神武天皇の五代前とされる天照大御神であるという。

「われ笑う、ゆえにわれあり」 土屋賢二

禁煙は困難であるだけに、禁煙に成功したときの報いは大きい。タバコをやめると別世界が開けてくる。食べ物がおいしくなり、空気がおいしくなり、なによりもタバコがうまくなる。ういたタバコ代をもっと有益なこと(パチンコ、競馬など)にまわせるという利点も見逃せない。うまくいけば景品でタバコをとることもできるのだ。・・全編にこんなしゃれたユーモア溢れるエッセイが満載されていておかしい。私は同著者の 6冊のエッセイ集を立て続けに読んだけど、お勧めは文庫版の「われ笑う、ゆえにわれあり」と「われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う」(いづれも文春文庫) 。人生観、文章“観”が変わります。

「燃える果樹園」 マッケイ

このサイトにときどき顔をみせてくれる、鴻巣友季子さんが訳された小説。今は老いた「私(エイプリル)」が、あの遠い、忘れられない夏の友情を追想する。英国の田舎の自然のなかで、8才の少女エイプリルとルビーは篤い友情を育む。ふた夏の二人の少女のこころの動きをマッケイは、ていねいに描写する。学校生活、両親の虐待、老ストーカーによる性的暴力のなかで、現実なのか悪夢なのか、さだかでない少女期特有の夢想を膨らませながらふたりは固い友情に結ばれていく。少女期の、大人は悪で子供の敵であるという、一種独特の連帯感が少女の友情を少年のそれよりも強いものにしているのだろう。この友情も突然に訪れた別れによりはかなく消え、二人は以後二度と会うことはなかった。心地よい語り口に身をまかせていると、静かだが思いがけない感動のラストに出会える。ああ、どんなにかこのラストを伝えたいか…。でもひとことだけ(笑)。ルビーのエイプリルにあてた切ないメッセージがあるのだ。遠くから、過ぎ去った友情への感謝のメッセージが。いかん、涙が(笑)。

「卑弥呼の謎、年輪の証言」倉橋秀夫

これまで、邪馬台国の時代と、古墳時代の間には数十年の溝があり、両者はまったく別の時代と捉えられていた。科学による年代測定にはいろいろな方法があるが、1年単位で正確に測れる方法が1つだけある。それは樹木の年輪をみる方法で、欧米ではかなり広く用いられている。日本の気候では不可能と思われていた年代年輪法に最初に挑んだのは奈良国立文化財研究所の光谷拓実氏で多大の労苦の末、1996年3月に弥生時代の池上曽根遺跡で見つかった木の柱の伐採年代をBC52年と同定したのである。これは考古学界に大きな衝撃を与えた。これにより近畿の弥生の年代観が古くなって、卑弥呼の死と古墳時代の始まりが重なったのである。纏向の、全長280mの前方後円墳の箸墓こそ卑弥呼の墓であるという説が一挙に浮上し、邪馬台国近畿説がしっかりと定着しつつある。纏向に存在して吉野ヶ里になかったのは、巨大な墓だった。卑弥呼は三輪山の麓に横たわり、この日が来るのをずっと待っていたのである。私にとって、「絶対音感」以来の興奮の書。

「都市」〜『逃亡者』クリフォード・シマック

木星の居住ドームから木星の大気のなかに派遣された者は過去4組6人にのぼるが、誰ひとりとして帰ってこなかった。木星上で防御服なしに生活できるように、6人とも完璧な体質転位をほどこされ、万全の装備をもちながら、そのまま消えてしまったのだ。派遣地点近くの徹底的な捜査もなんの成果もなかった。木星表面派遣プロジェクトの隊長、ファウラーは、愛犬タウザーをつれ、5組目の派遣に志願した。部下たちの消えた原因をなんとしても、自分の手で解明したかったのだ。体質転位をし、ドームを出て木星に降り立ってみると、心地よい芳香が溢れ、幻想的な音楽が身を包み、色とりどりの色彩に我を忘れるほどだった。タウザー、遠い地球からつきそってきた友人。ファウラーは愛しいタウザーに思わず話しかけた。なんと、高次のチャンネルを通して会話までも可能だった。地球人の鈍い緩慢な頭脳とは違い、脳細胞がフル活動し、知への欲求がふつふつと燃えたぎった。ドームのエア・ロックが開いて、タウザーがでてきた。そのとき、ふいに彼はタウザーの存在を意識した。タウザー。地球から、彼に従い、幾つもの惑星を経めぐって来たその毛深い動物の、燃え立つような、熱烈な友情を、彼は感覚的に感じたのだった。彼はタウザーに思わず話しかけた、言葉ではなく高められた人間と犬との高次のチャンネルをとおして。

「おまえ、口をきいてるじゃないか!」
「もちろんさ。オレはいつでもあんたに話しかけてたんだよ。でもあまりわかってもらえなかった」
「それはすまなかった」
「まあ、いいさ。さあ、行こう」
「どこへ?」
「このすばらしい世界を見るのさ」
「でもみんなが待ってる。帰らないわけには・・」
「おれは帰らない。帰らないぞ」とタウザーが言った。
「おれもだ」ファウラーが答えた。

「帰ったら、おれはまた犬にされてしまう」
「そしておれは、人間にされてしまう」

            「都市」〜『逃亡者』クリフォード・シマック 林 克巳 ハヤカワ文庫より

「マリリン・モンロー 暗殺指令」 ドナルド・ H・ウルフ

多数の新事実と証拠により説得力ある説となっている。モンロー事件の決定版のようである。この本によると、モンローが死んだ日、1962年8月4日の1日はこうなる。モンローは眠れなかったため、朝はやく起きてきた。泊り込んでいた、パット・ニューカムと口論。午後3時−4時、ロバート・ケネディとピーター・ローフォードがくる。「赤い日記帳?」の件で、ロバートとマリリンが取っ組み合いの大喧嘩をする。午後4時30分−5時 ロバートに外出させられていたマレー(家政婦)とジェフリーズ(その息子)が帰ってみるとマリリンがヒステリー状態のため、グリーンソン医師を呼ぶ。午後9時30分にロバート・ケネディがふたりの男をつれてやって来た。3人の男が、モンローにペントバルビタールと抱水クロラールの注射をする。午後10時30分、また外出させられていたマレーとジェフリーズはロバートたち3人が家を出るのを目撃。コテージで全裸のマリリンが意識不明で寝椅子に横たわっているのを発見。救急車とグリーンソン医師に電話。ピーター・ローフォードとパット・ニューカムが来、救急車とグリーンソンが来た。マリリン絶命。その後警察がきてマリリンを部屋に移し偽装工作がはじまる…・。

著者は、あらゆる証拠からみてマリリン・モンロー暗殺者はロバート・ケネディであると名指ししている。

「チャリング・クロス街84番地」 ヘレーン・ハンフ

手紙が大きな役割を果たす小説は数多いですが、そんな中で「チャリング・クロス街84番地」(中公文庫)が光る。
ニューヨークに住む女性作家とロンドンのチャリングクロス街84番地の古書店員との手紙による20年の交流を描いた、まさに手紙だけで構成された小説である。女性作家の洗練され、ユーモアとウィットに富む文章は、手紙や e-mailを書くうえでいい手本になる。最初は堅い姿勢を崩さなかった店員も次第にほぐれ、互いの近況を報告し合い、贈り物を交換し合うようになる。この静かな小説がこんなにも胸を打つのはなぜか考えさせられる。そして、もうひとつ、手紙のやりとりの中に、自分の興味のある本などが触れられていると嬉しい。「アニマル・ファーム」「自負と偏見」「トリストラム・シャンディ」など・・。

「炎のごとく−写真家ダイアン・アーバス」パトリシア・ボズワース

ファッション写真家を経て、いわゆるフリークス(小人、巨人、倒錯者)や人が目を逸らそうとするものを被写体に選び、撮り続けた女流写真家の伝記。著者は夥しいインタヴューを通じて、この写真家とこの時代のニューヨークの芸術、写真シーンを活写している。私たち読者は「恐いもの」を覗き、写真に撮る天才アーバスの心の炎を、ボズワースをとおして覗くことができる。現在、この本は残念ながら絶版で中古本屋でしかみつけることができない。3年かかって見つけた本。

「器用な痛み」アンドリュー・ミラー

このサイトの常連、鴻巣友季子さんが訳された。18世紀のイギリス、「無痛症」として生まれ、数奇な体験を重ねて、天才外科医として絶頂を極めながらも、特異な自らの「障害」とそれに由来する性格に苦しみ、翻弄されて堕ちていく男の物語。ピカレスク・ロマンの薫り高い小説。ミラーの想像力と時代考証で浮かび上がる、主人公とこの時代の背景の生き生きとしていること。天然痘蔓延の恐怖、18世紀の医療シーン、牧師とその周辺の生活風習、精神病院、ロンドンの風景。

「真珠の耳飾りの少女」トレイシー・シュヴァリエ

「真珠の耳飾りの少女」のタイトルは、17世紀のオランダの画家フェルメールの作品、『真珠の耳飾りの少女』(別名『青いターバンの少女』)からとられたもの。
この青いターバンの少女、フリート(著者の創作)は、フェルメールの女中として雇われる。彼女の目を通してフェルメール、その作品、家族などが語られていく。フェルメールの数点の作品の制作過程(もちろん著者の創作で、フェルメールが使ったとされるカメラ・オブスクラまで登場する)が描かれ興味深い。一例をあげると、「真珠の首飾りの女」の絵には、背景の壁に大きな地図が描かれている、と描写されているので、フェルメールの画集を開けて見てみると壁に地図など描かれていない。違う絵なのかなと思っていると、小説のもっと先のほうで、フェルメールが地図を除く場面があって、「そうか」と納得させられたりする。この絵には、実際地図が削除された跡があるというエピソードもあとがきで紹介され、フェルメール好きには堪えられないだろう。貧しく、無知で純朴な少女も徐々に大人の女となり、フェルメールの絵を批評したり、フェルメールに淡い恋心を抱くまでに成長する。後半、フェルメール、その妻、義母、フリートの間に強い緊張を孕ませながら物語は進行していく。この青いターバンの少女の運命は? 「更科日記」の著者のその後に何となく似ている…(笑)。『青いターバンの少女』

http://mirror.oir.ucf.edu/wm/paint/auth/vermeer/i/earring.jpg


「ガラパゴスの怪奇な事件」ジョン・トレハン

1929年に、ニーチェ哲学を信奉する、リターとドールのドイツ人男女が、その実践のために無人のガラパゴス諸島に渡る。厳しい自然の中、なんとか軌道に乗りはじめたふたりの生活もリターの頑迷、奇矯な性格から、徐々に破綻を見せはじめる。1932年に二組の移住者が相次いで島にやってきた。堅実なドイツ人家族と、ふたりの愛人を伴った、ニンフォマニアのブロンドのバロネスである。バロネスの出現により島の住人たちの間に猜疑、憎悪が芽生え、島の生活は破局に向かって突き進んでいく。60年前に歴史の闇に消えていったこの事件の謎の真相を、豊富な資料を駆使して、新しい視点から再構成・推理した好著である。

「銃・病原菌・鉄」ジャレド・ダイアモンド

「卑弥呼の謎、年輪の証言」以来の興奮・徹夜ノンフィクション(笑)。一万三千年の壮大な人類史に斜めから光を当て、五大陸の人類の発展の格差の原因を探ろうとした好著。家畜・病原菌・鉄製の武器が人類をどのように導いたのか?分子生物学や進化学、考古学、文化人類学など研究成果をもとに解き明かしていく。大型哺乳動物が家畜になれない条件とは? インカ帝国がなぜスペインに征服されたか? なぜ北米先住民が北米の勝利者となれなかったのか? 1998年度ピュリッツァー賞をノンフィクション部門で受賞したそうです。久々に半分徹夜しました、ああ眠い(笑)。

「紫式部物語〜その恋と生涯」 ライザ・ダルビー

著者のダルビーは日本の古典を研究したことがなく古文も読めないそうである。そのぶん、自由な立場でかなり現代的な「紫式部」像が描かれた小説である。紫式部の恋、宮中での生活、源氏物語を執筆にいたったいきさつを、創作上の人物を何人か登場させ、想像力豊かに描いている。後半、落魄した清少納言との邂逅もわくわくさせるが、その後は展開がやや失速気味。終章で、ダルビーは、”失われた終章”として、「源氏物語」に自分の考えたオリジナル、『稲妻』を加えるなど、かなり大胆なアメリカ人ではある(笑)。

「恥辱」 J・M クッツェー

著者のJ・Mクッツェーは本書(原題  Disgrace )で2度目のブッカー賞を受賞した。訳は、このサイトの常連、鴻巣友季子さん。本訳でも高い評価を得た。簡潔で諧謔が満ち溢れた文体が新鮮である。南アフリカの未来を暗示するような小説。アパルトヘイト政策をやめた後の混乱の続く南アフリカが舞台。ディヴィッドは、エゴイストで人生を拗ねた52歳の文学部の准教授。バイロンに関する音楽書の出版が夢だが実現しそうもない。2度の離婚を体験し、性的には場当たりだが、それなりに不満なく処理してきた。ところが、関係をもった女子学生からセクハラで告発され、大学を追われる。行き場を失ったディヴィッドは、片田舎で農場を経営する娘のところに転がり込む。ここで二人は思いがけなく恐ろしい事件に巻き込まれ、心身に大きな打撃を受ける。そして事件の処理や今後の生き方に関して、二人は真っ向から対立する。ディヴィッドの信条やモラル観は娘のそれとは全く相容れない。素直でおとなしかった娘は、いつのまにか自分の考えを持ち、行動する女性に成長していたのだ。そして娘が自分が生きていくべき道をディヴィッドに断固として指し示したとき、ディヴィッドは従容として受け入れ、娘を遠くから見守るしかなかった。そしてそこに「恥辱」にまみれた男、デイヴィッドの再生への道もあった。自尊心も信条も剥ぎ取られた男が、再び立ち上がろうとする姿を暗示するラストは、切ないが、静かで深い感動を呼ぶ。

「なぜ記憶が消えるのか〜神経病理学者が見た不思議な世界」ハロルド・クローアンズ

1989年初版(ハードカバー)、今回文庫版化。著者のクローアンズは、神経内科医。クローアンズが、医者として遭遇した患者のさまざまな疾患について、シャーロック・ホームズか、車イス探偵の推理のように的確に診断を下していく。訳は、このサイトの常連、鴻巣友季子さん。 「患者の症状から4つの病気が考えられる。この患者には、この症状がないからこの疾患は否定される。この症状から類推すると神経の上部がやられている・・・。・・だから病名は○○しかない」 圧巻は、自分自身が倒れ、麻痺で体が動かせなくなったときのエピソードである。恐ろしい不安のなか、診断リストを思い浮かべながら、自分の麻痺が脳卒中によるものではなく、「睡眠麻痺」だという診断に行きつくところなどは感動的である。 手術中に突然記憶がなくなった外科医、トスカニーニが指揮棒を振れなくなった理由、パーキンソン病者のところに来る幽霊、復讐の変わった方法、巨人症、激しい三叉神経痛との攻防、セックスのときの偏頭痛、著者自身の睡眠麻痺など興味深い症例が16章にわたって活写されている。医学関係者が読めば診断過程や希少な症例に出会える興奮に酔え、そうでない人にも推理小説を読むような知的興奮が味わえる。


「超越の儀式」 クリフォード・D・シマック

シマックがRPGからの着想を得て書いたSF。意図せずに見知らぬ異境に移転させられた英文学の教授ランシングが、知らぬ間にあるゲームに参加させられ、仲間と一緒に旅をしながら謎を糾明していく。ラストにはあっと驚く結末が・・。この結末は明かすことはできない。もっとも好きなSF小説のひとつ。

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